全然ジャンルの違うひと同士の方が、案外、


それわかります!

ってことがあるんじゃないかと思う。


先日、「アウトデラックス」の収録で印象に残ったことは、

かっぱ寿司のお皿が93枚で終わったことがクヤシーではなく、

加藤一二三名人に、

あなたのいうこと、わかります。私も同じ、というようなことを言われたこと。

大食いについて、いろんなことを話したんだけど、私は大食いは自分の技と心を研くことだと思っていて、

自分より弱い相手に勝つより、強い相手に負けたい。負けたら強くなれるから、

というようなことを話したんです。

それが将棋の道にも通じるんだなあと思って、うれしかった。

きょう見た「エンゲキ王」のアフタートークで、トラベルカフェシアター代表の遠藤さんが、よく脚本を書くにはどうしたらいいですかと聞かれるけれど、まずは短くてもいいから1作書き上げてください、と言っていて、それはパンづくりでもそうだと思った。

生地がイマイチ、発酵時間間違えた、いろいろあってパーフェクトに行かなかったからこれナシにしたい、と思ってもまず最後までやるんです。

失敗したと思っていた生地が案外うまくいくこともあるし、最後までやり通すことで、いろんなことを考えられる。タイミング、準備、時間…何が悪かったかを知るためには、逃げないで最後まで自分の失敗を見ることだと思う。

萬鐵五郎は失敗こそ尊いと言っているけれど、それもわかる。

もし私に大食いがなかったら、負けたい、強くなれるから、と思えただろうか。

大食いについては未だに私の中でも、自分を削ってでも強くなりたい、という烈しい、飢えみたいな感覚がある一方で、

そんなこと言ってもたかが大食いなんだけどさ、という二つの相反するような気持ちがあって、

押したり引いたりする波のようでいいんじゃないかといまは思う。