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「日曜美術館」の録画をみつつ、ブログも書いてみます。

 

先週の月曜日に【藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!】をみてきたのですが、

 

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上野公園をあるきながら、若冲展の行列のとぐろを思い出して、

あそこでケータリングを出したら儲かるだろうなあ、と美術を楽しんだ後にお金の話かよ!と言われそうなことを話しつつあるいていました。いやだってあのとぐろはすごかったですよ。私だって行列に並んだことはあるけど、何重にもぐるぐるしているとぐろにはもう並べないです。

 

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と、そこに唐突に出現したのが自由の女神ですよ。

 

あれ?

 

藝大の学生さんの彫刻かな? と思ってちかづいたら、

いまみてきた「月光菩薩坐像」(奈良時代の木造なので廃れているとろが似ている)を思い出すような、壊れかけた自由の女神。

 

 

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遠くから移すとこんなに大きく、上野の森になじんでいる気もする。

 

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村上愛佳さんの問いかけ、

「あなたが思う移設先と、石巻市との共通点をメールで送ってください」について、

 

私はあまり土地や歴史に詳しくないので、うーん、石巻市との共通点のある土地、移設先にいいところってどこかなーとずっと考えているのですが、全然思いつかないよ。

 

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このブロンズ像は柳原義達の「岩頭の女」。

 

3.11の震災で大津波に遭って、石巻市文化センターの屋外の5mの台座に据えてあったのにもかかわらず、波に巻き込まれて海に流され、自衛隊に発見され、脱塩などの処置を経て、石巻市に還る日まで(所蔵は石巻市教育委員会となっている)、岩手県立美術館で預かって展示している作品。

 

両足首から下、左手首が失われ、右の大腿部に大きな凹みがある。中が空洞であることから頭が上になって浮かんだため、上半身は無傷なのだろう。

 

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「自由な女神」は遺構(昔の建築物の残存物)であり、
「岩頭の女」は彫刻作品であり、大津波の記憶をとどめているもの、
 
という違いはあるのだが、
 
並べてみたくなったのはなぜなのか。
 
きのうは美術館で解説ボランティアをしてきたのでしたが、
萬鐵五郎室(代表作は神奈川県立近代美術館葉山の巡回展にあり、そのご新潟県立近代美術館を経て還ってきて、点検などを経て来年展示のもよう)のボランティア解説に参加もしたのでした。
 
萬さんの解説をしたひとは、自身も震災に遭って、現在震災復興のNPOではたらいてもいるので、萬さんの出遭ったふたつの大きな地震、サンフランシスコ地震(1906年4月18日)、関東大地震(1923年㋈1日)について「地震の印象」(いまは巡回中ですが)に関連して話して、
 
地震つながりで「岩頭の女」についてもお話したんでした。
 
「岩頭の女」について、私はどうしても、痛々しいとは思えなくて、堂々としていてカッコいいと思ってしまうのですが、
 
彼女(岩頭の女のことだ)が口を利けたら、カッコいいだと!と怒り出しそうな気もするのである。
 
震災ではなく、戦争で片腕を失った水木しげるさんは、たった一度だけ、「もし両腕があったら」とだけ奥さんに語ったそうだが、片腕であれだけの仕事をした水木さんだがもし、両腕があったらと、心の裡では思わない日はなかったのではないか。
 
にんげんと彫刻と震災遺構を一緒にして考えるのってどうなのでもと思わないことはないが、ここまで書いてしまったのでこのままアップするのである。