20年くらい前、ラジオを聴いていたら女性作家が作品について語っていて、その声や言葉の選び方が落ち着くなーと思って、

 

なんとなく、図書館から借りてよんだのが、

 

『なにもしてない』笙野頼子

 

だった。

 

なにもしてない、とか、居場所もなかった、とか、タイトルだけ並べるとこう鬱屈しているとか、閉じこもって誰とも会わない生活とかが連想されるのだが、文体は饒舌。というかリズムがあって、すきになった。当時私自身が「なにもしてない」状態だったので、ぼんやりラジオを聴いていたわけです。テレビはお茶の間にあって、そこに降りていくのは非常に負担だったわけだ。

 

現在は製パン業を営んでおり、息子1人とのユニット家族ではあるが、家族がいて家事もやっているので、なにもしていないわけではないのだが、考えたら、なにもしていないという状態ってなかなかないのではないでしょうか。

 

実家にいた独身の頃はしごとをしている、していない、がなにもしていない基準だったわけですが、

 

私は当時から部分的な潔癖症だったので、自分のものと家族のものを一緒に洗うのがいやで、自分のものは自分で洗っておりました。って洗濯機が。洗濯くらいはするし、職安にも通っていたし、図書館に通って本をよんだり、友達にむだに長い手紙を書いたりしていた気がする。しかしなにもしていないといえばいえるな。

 

きょうは雨で一日ひきこもっていられるなーと思って、実際ひきこもっているわけですが、自宅のリビングを掃除したり、レーズン酵母を仕込んだり、お客様からいただいた甘いものをたべたり、昼寝をしたり(休みの1日目はやたら眠くなる)、

 

ふと、あるものがバッグに入っていたと思ったらないことに気づき、

1時間くらい掃除をしながら探していたところ、キャリーケースに入っていたり。出張のときにバッグからキャリーケースに移して忘れていたもよう。写真同好会で切手を買ってくる係だったので、あせりました。預かったお金とお釣りを確かめてはーやれやれです。

 

と思った矢先、Twitterがのっとられており、たいしたツイートでもないが、ずっと探し物をしていたのになんでつぶやくし。基本のパスワード変更と余計なアプリ連携削除をやってみました。なんだったんだろうなあ。こわいなあ。

 

というようなことも、

 

なにもしてない、ようにみえる。

 

ただ、私に限らないと思うけれど、内向的な性格の人間にはひとりですごす時間というのがないと疲れるので、

きょうはだいぶ休養になった気がする。

 

あしたはひとに会ったり、買い物に出かけたりしたいなー。

 

ではでは♡