春休みがぼちぼち終わるが、いつ終わるのか、息子がまるっきりわかっちゃいない。

 

これは障がいのせい…なわけないだろ。依存心がつよくて、それはお母さんのしごと、と思っているんだと思われる。春休みのあいだ、お手伝いをしてはくれたが、ある朝焼成が重なりに重なって身動きがとれず、「起きなさい」と声をかけられなかったら、びっくりすることに11時ごろのっそりやってきて、第一声が、

 

「お母さん、ガンダムのプラモデルどこ?」

 

…その時私は接客中でした。びっくりしすぎて叱る気にもなれません。ねえ、いま接客中なのねガンプラ?そんなもん、いまどーだっていいじゃ。戦力にならないのはわかったからせめて足をひっぱらないでよね!

 

…とふだんなら言いそうな私ですが、あまりに空気を読まない発言になにも言わず仕事ぞっこー。

 

その後もずっと展覧会で買った限定ガンプラの箱はどこ?とやってきて、けっきょくしごとが終わってから見てやったら、押し入れの上段の、すぐ目に入るところのダンボールにちゃんと入っていたのである。

 

最初にそー言ったじゃん!あんた、なかったよ、と云ったよね?ねえどこ見たわけ?

 

とお客様もいない自宅なので、思う存分文句を言えてスッキリ…するわけないだろ。なんでなんでなんで!の気持ちですよ。

 

私は片付けが苦手だが、案外だいじなものは失くさない。子どものころから自分の整理整頓下手とつきあってきたので、自己防衛の技術がなみじゃないんである。だいじなものは目につきやすく、まぎれないところにおく。

なんでもスマホで撮ってメモる。スケジュールはスマホに入れとく。アドレス帳はアナログでも管理する。

徹底して自分を信用しない心構えが肝心である。

 

息子はADHDだが、私も相当なタマだと思う。しかし、学校の先生は子どもがADHDでもまさか親はふつうだろ、という気持ちであるらしく、こちらの苦手なことばっかり要求してくる、気がする。

 

ということで、自分の学生時代はふつう学級で親・担任・クラスメイトの無理解にきたえられ(

ありがたくない)、息子が学校に上がれば、今度は親だったら、ということでまたもや各方面からのプレッシャーと戦っておるのだ。人生は戦いなり。黄金の騎士か!

 

もちろん、息子も味方ではないんである。

 

味方と思わせて敵になり、敵だが協力的でもあり、つねに身近にいる。

「ルパン三世」における、ルパンと峰不二子の関係が、私と息子の関係である。

 

ADHDの息子の幼少時は心が痛くなるくらい、きらきらした瞳と笑顔だった。

いまもその片鱗は残っており、なにかの悪戯を考えているときの輝きはダイヤモンドのようだ。

 

そのダイヤモンドとつきあっている私は燃え尽きて灰になりそうである。

 

 

ふっ。