岩手県立美術館 美術講座2016
「五味清吉の生涯と作品」 2017年1月29日14:00〜15:00
講師;主任専門学芸員 加藤俊明
☆生誕130年記念 五味清吉展 2017年2月19日まで 岩手県立美術館☆
きのうは日曜日だったので、ひさびさに美術館のイベントに参加できました~。
この講座は楽しみにしていたんでした。
五味清吉に影響を与えた画家のひとりに青木繁がいるのですが、
初めて五味清吉の「神話画」を見たとき、青木繁の「わだつみのいろこの宮」を連想し、青木繁と同一人物だと思ったのは私です。たった5、6年前までそんな状態だった私が、
「五味清吉の生涯と作品」の講座を聞いて、すべての画家の名前と絵が浮かぶようになったというのもすごい話である。
五味清吉が1886年生まれで萬鐵五郎と一つ違いで、ふたりともストレートに
東京美術学校に入ったわけでないのですが、やっぱり美校でも1学年違いだった、
というところまでは展覧会前まで知っていたのでしたが、
五味清吉が岡田三郎助の弟子だったことや、和田英作の指揮のもと壁画制作に携わっていたことなど、今回知ったことは多く、そこ?と言われそうだが、
萬鐵五郎が東京美術学校にトップで入学して卒業時は「裸体美人」が効いて下から6、7番だったのに対して、
五味清吉はトップで卒業、というコントラストに思わず膝を打ったです。そこ?そこなの?
トップで卒業、ということは、黒田清輝の牽引する外光派に沿った画風だったということでもあるわけですが、
黒田清輝自身も外光派的な作品だけではなく、表現主義的な作品もあったように、というお話が出たときに連想したのは、「プラハの少女」でしたが、もっと細長いタッチのまさしく表現主義的な絵があったなあ。
そういうふうに、発表する場によって画風を変えるということを五味清吉はずいぶんやっていて、今回の展覧会で、こういう絵も描いていたのか~とともに、
えー、息子の卒業した小学校にこんな大作が所蔵されていたんですか!という驚きもありました。けっこう県内あちこちに五味清吉の作品が蔵されていたのだなあと。
いちばんすきなのは「たけに草」。
細長いフレームもロマンティックですてきですが、この女性の
この世のものではないような雰囲気が好きで、おそらく同じモデルなのだけれど、
「秋草」の緻密なタッチが前から気になっていて、
なぜこの絵だけがこんなタッチなんだろう、と思っていました。
質問の時間があったのでお聞きしたら、五味清吉がその筆加減というのか、
どこまで緻密に描くかを試していたなかの1枚ということで、
五味清吉ってかなり腕のある画家だったんだなあと今頃思った私です。
「新天新地」。
この絵も屏風仕立てになっていて、いつだったか、春の常設展示室の入ってすぐのところにあって、わあ、春だ!と思ったときからすきな絵でした。
ずっとなんとなく、「古事記」のイザナミとイザナギの神産みの場面だと思っていたのですが、
(薔薇が咲き乱れているのだが、日本神話だとおもっていたわけだ)
五味清吉はキリスト教の洗礼を受けていて、
(息子が通っていた小学校の近くに有名な教会があり、あそこか!と思った私です。五味清吉の生家も近くなのです)
これは聖書の中の一場面なのだそうです。
集団というか群像劇の一場面のようですが、私にはこちらを向いて立っている男性が五味清吉にそっくりに見えます。展覧会場にあった五味清吉の自画像からそう思っているわけですが、じつは「たけに草」の女性も五味清吉に見えるんですよね。
この「青銅器の白ゆり」は何年か前の常設展で出ていたもので、
屏風仕立てで思いっきりロココしているのが新鮮で、すきな絵でした。
「木花之佐久夜毘賣」も屏風仕立てで、今回の「五味清吉展」ではじめて見たのですが、
五味清吉よりもっとあとの時代のひとの絵のようだと思いました。
木花之佐久夜毘賣は富士信仰と結びつく女神さまですが、
私は「古事記」の石長姫と木花之佐久夜毘賣の残酷なエピソードを連想してしまいます。
姉の石長姫は醜かったので返され、妹の佐久夜姫が娶られたというあれですね。
指先の反り返った表現は、蕗谷虹児を連想させますが、蕗谷虹児は五味清吉よりもっと
あとの世代なので、どうして1886年生まれなのにこうなの?とすごく思う。
指先の表情は1970年代の少女マンガを連想させもするのですが、五味清吉はいつもこういう絵を描いていたわけではなく、夢二風の屏風もあり、もっと写実的で勇壮な歴史画もあるのでした。
こちらも屏風仕立て。萬鐵五郎にも松島をモチーフにした屏風図がありますが、
五味清吉の屏風仕立ての絵の多さにおどろいてしまう。しかもみんないい。
なぜ?と思っていたのでしたが、
そこには西洋画の技術をもって、東洋の魂を描こうという、
和魂洋才の気構えがあったようです。
きのうの講座の資料。
思わずマーカーを引いてしまったのは、
「藝術も科学も所詮は、人世をたのしくするというのが根幹なのであって、これは日本人はもちろん、人間全体の真理として通用するものであることに間違いはない」
五味清吉が様々な画風を場に応じて巧みに変えたのも、そのこと自体をたのしんでいたということなのだと思われます。そのことの向こうには、ひとの世は思うに任せないことばかりだからこそ、自らのつくりだす作品が人世をあかるく照らし出すようなものであるように、という願いがあったのではないでしょうか。
すきな絵はやっぱりすきで、そればっかり何度も見てしまうのですが、あまりすきではない、歴史画もつぎに見るときはよーく見てみようと思った私です。
ではでは♡