岩手日報にまた掲載されました!
今回は子ども時代や学校を卒業してからのことなど。まー、時間をかけてお話ししたせいか、かえって記者さんの記憶を混乱させちゃったのかなと思ったりして。
「パン店を経営していた祖父」というのは事実だけど、私が生まれる前に火事で廃業しているんですよね。もちろん記者さんにははっきりお伝えしているんですが、字数の関係でそういう表現になってしまったんだと思います。
「教室での勉強が苦手な子の居場所を作った」なんて話じゃなくて、マンガから抜け出てきたようなヤンキーが図書室にたむろするのに業を煮やして、ある日、あんたたち出入り禁止!とこっちも容赦ない若さで言い放ったら、そんなヤンキーたちが頭を下げてきて、こんな怖いもんなしの子達でも教室では落ち着かないんだと思った、
ってこのブログでも2、3回書いたようなことですよ。私はハタチのねーちゃんで高3の彼らからしたら、ほぼ一緒。まあ私も人権無視でやりあってました。彼らのプライドは女には手を出さないということで、私が引っ叩いても無抵抗だったのが懐かしいと思い出に浸る菅原(笑)。
でもまるっきり私のいう通りに書くと品格も何もなくなるもんね。
それに新聞は載ってた、という認識だけでいいみたい。
問い合わせの電話が来ることもあるんだけど、
「新聞を読んだけど、で、何時から?」
とすでにオープンしている前提の方もいれば、
「楽しみにしているのよ、で、いつオープンするの?」
…新聞に明記してますよとは客商売だから言えないじゃん。記者さんにもその話をしたら絶句してました。そりゃそうよね。
で、わかったの。
みんな、載ってたと思うそれだけでいいんだって。
それでもやっぱり、岩手日報に載せてもらうというのは、ありがたい広告宣伝です。
お金を払って載せてもらったら、いったいどのくらいかかるんだろう。個人事業主1年生の私には払えないと思う。
それもこれも、
中村ゆうじさんいうところの「悪名を売った」からで、10年前に盛岡市の全日本わんこそば選手権に出た時から、
こうなることへの道が始まっていたんだなあと。
ゆうじさんのTwitterをきのう見つけてフォローしたら、わりにまもなくフォローされて、お互い特にコメントしたりしないのがいいなと思った。
去年のNY、世界戦に出たのもつまりはゆうじさんの最後の大食いの大仕事に立ち会うために神様が私を選んだのだと思う。直接的には制作会社やテレビ東京であっても、
もっと上の方に、大食いの神様がいる感じは、私にはある。
水木しげる先生が生まれた時から妖怪だったように、
私も生まれた時から大食いです。
どんぶりでごはんを食べていたんじゃなくて、家にはお茶碗が一客もなかったというのがほんとう。
中学時代、お茶碗のない家が嫌になったこともあるなあ。
誰でも自分の家はふつうと違うと思って、自分の家が恥ずかしくて、親と家から切り離されたがる頃ですよね。
まあ話しながらいろいろ思い出せたので、多少の齟齬はいいかなと。
ではでは♪

