自分より若い人がなにかをしようとしていたら、
若いうちは多少失敗しても取り戻せるんだから、
いいね、
と言ってあげる。
本心なのだが、じゃあ若くない自分のことはどう思っているかと言えば、
若くないので、たとえ失敗してもうまくいかなくても、
それをひきずって悩む時間も短いわけだ。
と思っている。
前からそう思っていて、年を取るのはステキなことです、そうじゃないですか、とみゆきさんの「傾斜」とはちがって、反語でも告発でもなく本心から思っているのであった。どうでもいいが、「ベッドルーム」を聞くと「傾斜」を連想する。
内館牧子さんの「終わった人」(「都合のいい女」の対句みたいな過激なタイトルである)の中にも、そんな言葉がでてくる。主人公はエリート街道まっしぐらだったのだが、派閥争いでしくじった、でも一般から見たらエリートコースで余裕ある定年後の日々を送れるはずだった。
それがさまざまな出会いがあり、会社経営に携わることになったのだが、あるきっかけから会社は失速し、主人公は退職金やゴルフ場の会員権や証券など、自分の財産をもって支払いにあて、妻にもそっぽを向かれる…。
そんな失意の中にあるときに、主人公は自分がいま若かったら、ここから長い間失敗を引きずることになるが、自分の年齢ならそれほどのこともない、というようなことを考えるのだ。
あまりひとが言わない、鋭いところを突くなあ、と思ったです。
なにかをはじめるのに年齢は関係ない。と思います。