おはようございます。
電気設備工事のビフォーアフターを見てきました。
上がアフターですわ。ちなみに家の裏がわ。
↑これがビフォー。
うちの南東の入り口ちかくになった電線類が、西に移されております。
岩手県立美術館の屋外展示スペース(とはいうものの屋外から直接見に行くことはできません。美術館に入ってドアをあけて屋外展示スペースにでるかたち)に展示中の
泉田之也さんの「交(こう)」。
いろんな見方がありましょうが、いまの私にはいえに見えます。
身の回りにある材料だけをつかって手の力でつくられたいえ。
実際材料は久慈粘土も野田赤土も作家の近くの土地にある土ですし、スズタケも流木も野田で作家が採取してここに運んだものです。
大雨のあとだったので、流木の足元に溶けた土が乾いている。
私の生まれ育ったところは昔は田んぼが多いところだったので、
(いまは開発されて住宅だらけである)
田んぼに建てられたコメを干すための杭(ほんにょと言うらしい)を連想する。
使わないときは畑などの小屋に横に積まれてあった。
近所の取り壊し中のビル。長年無人で、窓ガラスが割られたりして、
ちょっと危険な存在だった。骨格だけになるとむしろ強そうな感じ。
岩手県立美術館のグランドギャラリーに展示中の、本田恵美さんの「あめつちのいえ」のひとつであり、その中でも目立って大きなもの。
人間はあるく殿堂である、とはロダンのことばですが、
わたしが子供のころ、テレビのCMで岡本太郎が、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」と盛んに言っていましたが(誰もあってはいけないとは言ってない、と金井美恵子がエッセイで書いていましたが)
うちがあるいてもいいじゃないと思う。
まわりを囲ってあるのは、この作品が誰もいないときにこっそりあるいてどこかへ行ってしまうのを防ぐためなのかもしれませんな。
脈絡もなく、いえ、またはいえにみえる作品をならべてみました。
きょうも晴れそうです。
ではよい一日を。