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実家から持ってきた段ボール(中身は本)の中に入っていた、
谷山浩子『悪魔祓いの浩子さん』(新潮文庫)。
 
奥付をみると昭和61年とある。30年前の文庫本である。
その頃、新潮文庫ではミュージシャンの歌詞集やエッセイを彼らの
写真多めでよく出していたのです。私は中島みゆきの『愛が好きです』(しかし「愛が好きです」という歌はなくて、「あした天気になれ」の歌詞の一節なのである)と谷山さんの『猫の森には帰れない』を買って愛読していました。歌詞集を読むより、歌はCD(当時だとミュージックテープか?私はLP派ではなかった)で聴いたほうが、といわれそうですが、
 
このふたりの言葉は練られているので、歌詞集だけ読んでも、歌を聴いているのとおなじような感じになるのでした。
 
『悪魔祓いの浩子さん』が書かれた当時の谷山さんはちょうど30歳。いまの私からしたらてんでお嬢さんなのだが、23歳くらいで読んでいた当時より、いまのほうが谷山さんのいうことがよくわかる気がする。私がトロいのはもちろんだが、谷山さんはたぶん、二十歳でも還暦でも百歳でも、あまり変わらない気がする。
 
高いホテルに泊まって、なにを頼んでも、「えっ?」と聞き返されなくて感動したり、でもこんなにいい待遇があたりまえになったら嫌なひとになりそうだから、気の利かない応対に、ああもう!と頭を抱えるくらいなのがいい、という感じ方。
 
「たばことみかん」という言葉がすきだ、ということ。
 
これは何度読み返しても、私の中にはない感受性なので、すごく新鮮である。
だんだん洗脳されて、私も「たばことみかん」という言葉の響きや連想されるものが素敵に思えてきた。が、谷山さんの頭の中に広がる光景とはちがうものなのだろう…
 
というように読み返したりしてしまうから、実家からもってきた段ボールは私がおばあさんになるまで封印しておきたいのである。時間があっというまに立ってしまう。玉手箱をあけた浦島太郎さながらである。
 
ではでは♪