萬鐵五郎「水着姿」 1927年
赤と緑の水着は萬さんが横浜までもとめに行ったものだそうです。
茅ヶ崎と横浜、いまだと1時間くらいですが、当時もそのくらいだったのかな?
当時大流行の断髪に、鳴子こけしのようないまだったらクールビューティと言えなくもない
顔立ち。鍛えてあるなあ。日傘も足元も見切れてるなあ。
さて、この絵は実際に海の中で描かれたわけではなく、背景は新聞記事の写真から、モデルは室内で描かれているのですが、それにしても気になるのは背景ですよ。
(サザンビーチ。ああ、みんな気持ちよさそう…。いいなー)
「昔のえぼし岩は現在のものより先端部分がより烏帽子らしく西へ長く尾を引いていましたが、戦後、米軍の射撃訓練の標的にされ、その先端部分は消失し、わが町のシンボルを守るための市民運動が起き、訓練は中止されました。」
自分が撮った写真はあまりに遠くからで、たぶん、えぼし岩周遊船に乗ればよかったのだろうけれど、そこまでの時間的余裕はいつものことだが、なかった。
ふつうは行く前にいろいろ調べるものだと思うけど、私の場合、行動は自分にすら予測がつかないので予習の概念がない。猫には未来がない(と詩人の本のタイトルにあった)ように、私にも長期展望は皆無である。
また、「実は「姥島」全体は、1923(大正12)年に発生した関東大震災のときに、海面から1メートルほど隆起したようだ」とこちらのサイトにあったのも、帰ってきてから読みました( ´艸`)。
周遊船からの画像もありました。うーむ、そうだったのか。
しかし私は昔どこかのサイトで、えぼし岩が昔は夫婦岩だった、というのを読んだことがあるのですが、いつのまにか見つけられなくなり遺憾である。
萬鐵五郎の「水着姿」は岩手県立美術館のコレクションですが、やはり季節というものもあるので、展示替えまでにもっと研究したいと思う所存です(その情熱の方向がいろいろ間違っているのはおいといて!)。
ではでは♪