チラシのコピーにある、
「これは、俺がアイツを壊すまでの物語。」の
俺が武田
アイツが新堂であることは、双眼鏡のレンズにうつっている新堂のひとくせありそうな表情からもうかがえます。
が、それはお芝居を観終わってから考えたことでして、私は舞台を見る前にはなにも考えていない。
双眼鏡を構えて一方的に相手を見ることは、
構えた顔自体は双眼鏡に隠れてしまうのに、グロテスクで目立つなあと思っただけです。
ベロ・シモンズのお芝居はいままでにもいくつか見てきたのですが、
もりげき王でも公園のベンチからある一見幸福そうに見えるサラリーマン家庭(じつは妻は不倫中)を窃視しつづける青年「ハロー、ランデブー」
妹とねじれた関係を持ちながら殺人事件を追う刑事のダークな「code.36」
高校演劇で知り合ったふたりの青年の過去と現在と妄想が交錯する「ゼンラーマン」
繰り返し出てくるのは、窃視、同性愛、レイプ、殺人、暴力、
特徴的なのは映画みたいな細かなカット割、音楽と照明が印象的(暴力的といいたいときもある)で全体に暗がりが多い。
最初の場面はうしろ向きのほっそりした青年ともうひとりの、やや年上に見える青年。
言葉をかわすうちに、ほっそりした青年はシンくんと言い、思っていたよりずいぶ幼く、
中学生くらいじゃないか、と思われてきます。シンくんを宥める役割の年上の青年がなにごとか勧め、
シンくんは手に持っていたなにかを、横たわっているらしいなにか上にたたきつける…
おそらくなにかを殺したらしい。年上の男は幼い感じのシンくんの保護者的な存在なのだろうか。
物語の中心となるふたりの男、武田と新堂の20年前の姿だった。
舞台の両側に二階建ての二階くらいの部屋があり、
左手が新堂の家、右手が武田の部屋であり、武田は新堂の家を覗き、
テレビ(なのか?)画面で彼の動向をチェックしつづけている…盗撮のなにかを仕込んでいたのだろうか。
1新堂家 2舞台中央 20年前の事件のいまは廃屋となった教会や街、病院、診察室
3 武田部屋
照明によって1、2、3が次々と場面転換されていく。
2は、廃屋の教会であり、グレーの壁面に紅く塗られた十字架(釘が無数に打ち付けられている)が掛けられてあるだけのシンプルなセットである。あとはパイプ椅子が5脚。あるときは診察室の椅子にもなる。
10人の登場人物は、さまざまな関係性を持つのだが、1場面にあらわれるのは2人だけである。
新堂と梶原 おなじ医院に勤めるふたりの医師だが、麻薬の横流しをめぐって恐喝(というよりおもしろがっているだけ?)する新堂とおびやかされる梶原
道端と奥村 ベテラン刑事と新任の警部補 20年前の事件を追う道端
武田と新堂 20年前に知り合い、新堂によって人生を狂わされた武田は新堂を追う
新堂と美希 父娘
武田と黒沢 同性愛者の関係。黒沢が武田の部屋に転がり込んだ。恋人同士ではなくゆきずりの関係っぽい。
黒沢と仲田 黒沢は麻薬(合法?)をあつかっている。仲田は大きな麻薬の横流しの事件を追っていることから、取材に協力してもらっているらしい。
仲田と新堂 愛人関係?
美希と仲田 新堂の娘と新堂の愛人。仲田は美希に意地悪な言葉をいい、美希は仲田を無視している(物語の最後では和解する)
奥村と新堂 病院で道端の話をするふたり
組み合わせはいくつもあるけれど、1場面に2人以上は登場しない。
(例外はあったかな?なかったと思うけど…)
それが十字架の縦と横の棒がクロスすることと重なって興味深かった。
ひととひとの関係は、3人いても4人いても、根本的に一対一なのではいか。
激しい憎しみは愛なのではないか。究極の愛は相手を殺すところまで行きつくものなのか。
そんなことを血の色に塗られた十字架は象徴しているのでは…と思ってみていた。
物語の中心は、ただおもしろいから人を窮地に陥れ、なんの感慨も持たず次々と人を殺し、
そのことに深い快楽を覚える「反社会的人格障害者」である新堂。
黒沢役の榊原がちょっと微妙な女装で乳母車を引いて現れる。そこに通りかかった新堂が子ども好きの笑顔を浮かべて、高い高いをしたりして赤ん坊と遊んでいるなと思わせて、
アッサリ持っていたナイフで文字通り瞬殺してしまう。なにが起こったかもわからず悲鳴を上げる母親。
ちなみにこの舞台では何度か新堂が殺人を犯しますが、残虐シーンにつき可愛いクマのぬいぐるみで代用されている…ある意味かえって不気味なんですが。
新堂は自分の身辺を探っていた仲田の実家まで赴き、仲田の両親を殺害もしてしまう。
この場面が最高にシュールで可笑しかったのですが、あまりの名演技と演出にみな声が出なかったようです。私は思わず吹き出してしまったのですが、自分だけが笑うというのもやりにくいものだ。
1の場所から電話に出ている仲田と2で椅子にくくりつけた両親の首を刎ねた新堂の会話。
娘だけはと懇願する両親を殺し、その首のない死体を写メで仲田に見せつけ、哄笑する新堂。その笑いは攻撃的な笑いですらなく、ひたすら楽しい、という笑いなのが恐ろしい。
首のない両親の死体はここでもクマのぬいぐるみ(首なしで首のあたりに血の飛沫らしき赤インクに染められている)ですが、新堂はミュージカルスターよろしく、ポン、ポンと舞台両袖に首なしクマを放り投げ、両手を大きく広げて観客に挨拶します。満面の笑顔!
ここの音楽も照明も、遊んでるなあ~楽しんでるなあ~という感じで、印象に残るシーンでした。
もうひとつの印象的な場面は、物語の終わりの方で、新堂と武田が対峙しているところを、
1と3の高い舞台から20年前の新堂と武田がじっと見下ろしているところ。
20年前の事件があった、いまは廃屋となった教会。
そこで13歳の少年シンは姉に対する性的衝動の悩みを新堂に打ち明け、
新堂はシンを唆す。あげく、姉への思いを遂げたシンは姉を殺し、その顔を石で潰す。
13歳の少年は5年後少年院を脱走し、行方がつかめなくなる…
それが20年前の事件だった。
新堂は自分は反社会的人格障害なのだ、と自覚している。
悩んでいるようにはみえない。医師というひとに信頼されやすい立場と精神科医としての知識と経験を利用して、ひとの心を翻弄することを心の底から楽しんでいるだけに見える。
そんな新堂と出会ってしまったことが武田(シン)の人生を狂わせてしまった。
武田は新堂を殺すことだけを目的として追って来たはずだった。
しかし、最後の場面でみたものは復讐の完遂ではなく、どんなにねじれて見えても、
このふたりの間にあったものは互いに対する愛だったということだ。
武田はインセストと姉の殺害というふたつのタブーを犯し、18歳から逃亡している犯罪者だが、新堂は次々と思いつきで人を殺して罪に陥れ、そのことにまるで罪の意識を感じていない。人を殺してきたばかりのような顔つきの武田と、誠実そうな微笑みをうかべた新堂。
ふたりとも絶望的なほど飢えた獣だった。
姉を犯しても殺しても行きずりの男と寝ても、つねに怒りでふくれあがっているような武田と、
思いつくままに反社会的行為を繰り返しても笑顔の裏は真黒な空洞のような新堂。
誰にも認められることのない暗い衝動や性的嗜癖を抱えた、マイ・アングリーマン。
それは新堂のことかもしれないし、武田のことかもしれないし、舞台をみていた私たちのことかもしれない。
それぞれの人物に焦点を当てたら、またちがうお芝居ができそうなくらい、ふくらみと余韻のある舞台だった。見てよかった。
ではでは♪