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岩手県立美術館で開催中の「ジョルジョ・モランディ展 -終わりなき変奏」(~6月5日(日))。

 

きのうは関連記念講演会があり、聴講してきました。

 
モランディ展開催記念講演会 「モランディは何を描きたかったのか」
2016年5月8日(日) 14:00~15:30 
 
会場:ホール
 
講師 : 岡田温司氏 [京都大学大学院人間・環境学研究科 教授]

 
2,3分遅れて着いた時には会場は満員に近かったのですが、最前列は3,4つくらい席があいていたので迷わずそこへ。
目も耳も悪いので(老化か!)、最前列が落ち着く。神経質なので目の前にひとの頭があると、それが気になって集中できないこともあるので。
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ジョルジョ・モランディは1890年、7月20日5人きょうだいの長男としてボローニャに生まれる。父は会社経営をしていたが、モランディが19歳の時に亡くなる。以来、3人の妹と母との5人暮らしになる(弟は11歳で早世)。生涯独身であり、身の回りの世話は3人の妹たちがしていたという。
 
1964年6月18日、ボローニャで死去。彼はその生涯のほとんどをボローニャと避暑地のグリッツァーナ(ボローニャ近郊、アペニン山麓の村)で過ごした。。
 
その作品は瓶や壺などを並べた静物画で、版画、水彩画、油彩であってもモチーフは変わらなかった。意外なほど長身で192cmだったという。
 
同時代の画家としては、
 
 
ピカソ 1881~1973
モディリアーニ 1884~1920
シャガール 1887~1985
デ・キリコ 1888~1978
ミロ 1893~1989
マグリット 1898~1967
ダリ 1904~1976
ポロック 1912~1956
 
などなど。
 
日本での個展は3度目17年ぶりだという。
 

「モランディ展」
 
日本初の大規模個展。油彩画84点、水彩15点、デッサン15点、エッチング20点。下記5会場を巡回。
神奈川県立近代美術館(1989年11月18日~12月24日)
三重県立美術館(1990年1月4日~2月4日)
ふくやま美術館(1990年2月10日~3月11日)
有楽町アート・フォーラム(1990年3月16日~4月3日)
京都国立近代美術館(1990年4月10日~5月13日)
 
「静かなる時の流れのなかで ジョルジョ・モランディ 花と風景」展
 
油彩55点、水彩10点、ドローイング15点、エッチング16点。下記2会場で開催。
東京都庭園美術館(1998年10月10日~11月29日)
光と緑の美術館(1998年12月5日~1999年2月14日)
 
 
「ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏」展
 
下記3会場で開催。油彩、水彩画、版画など約100点。
兵庫県立美術館(2015年12月8日~2月14日)
東京ステーションギャラリー(2016年2月20日~4月10日)
岩手県立美術館(2016年4月16日~6月5日)
 
 (以上はいくつかのテキストからまとめたモランディについての私のメモです)
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最初にモランディのパレットの画像。
 
まるでモランディのカンヴァスを切り抜いたような色合いの黄土色にグレーの影が少しだけついたようなパレットだった。
 
パレットは画家を象徴するということで、同時代のピカソとマティス(このふたりについての本を読んだことがあるので、そのパレットがよく似ていることにも納得だった)、ゴッホのパレットのスライドも。
 
☆ピカソとモランディの比較。
 
ピカソ 次々と変わり続ける
モランディ 変わらず同じものをじっくりみつめる。
 
1890年生まれのモランディの1910年代(20歳代)の作品の紹介。
 
デ・キリコやセザンヌを思わせる裸婦群像。
 
 
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セザンヌのキュビスムの影響を受けた絵を描いていたころ。
 
「モランディ キ...」の画像検索結果
 
形而上絵画の影響を受けていたころ。
 
セザンヌ風の裸婦像も、キリコ風のマネキン(?)と瓶がお盆の上に載っている絵も、
はじめて見てビックリしました。影響されることを怖れないひとだったんだなーと思いました。
 
瓶や壺を描いた作品とちがって、かたい輪郭線です。
 
20代に描かれた自画像画の紹介されました。
淡い色調はモランディっぽいですが、目は描かかれず表情がはっきりしません。
この自画像もセザンヌの影響を感じます。
 
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(左に絵筆を持っているのは鏡を使って描かれているからです)
 
1920年代から人物はほとんど描かれなくなる。
グリッツァーナのアトリエ、寒村の風景しか描かなくなる。
 
2009年にモランディのアトリエがホワイトキューブの美術館に移され、
モランディの生きた時間、埃というものがある意味抹消されてしまい、残念な印象。
 
モランディは自分のことをほとんど語っていない。
 
68歳の時にアメリカの評論家の皮肉めいた質問に答えている。
 
「あなたはパリに一度も行こうとしなかった唯一の芸術家ということになりますね?」
「20代前半にはパリで芸術の勉強をしたいと考えていました。しかし、物質的な困難さが大きくできなかった」
 
(父の死、母と3人の妹を養わなければならなかった)
 
モランディは失われたものに対する”喪”の作家
 
壺や瓶たちに好みの衣裳やメーキャップを施し演技をさせている。
 
(モランディは手持ちの壺や瓶などに紙を貼ったり絵の具を塗ったりしていたという)
 
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右の白い筋目のある壺はモランディのお気に入りの壺。主役級のひとつ。
 
 
 
 
いくつかのモチーフが重なってよりそう形。
まるで会話しているような。
 
 
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(このスライドで紹介された絵は図録には見当たりませんが、この絵の半球状のお椀が複数個いて、内側を見せ合っているような配置です)
 
 
 
 
下から見上げたアオリの構図。
 
モランディ「目に見えているものほど抽象的なものはなにもない」
 
⇒抽象絵画には否定的だった。
 
 
☆過去の絵画の伝統を断ち切ろうとはしなかった。
20世紀のアヴァンギャルドのムーブメントの画家たちは過去の柵をいかに切るかに心血を注いでいたが、
 
モランディは20世紀に新しい形で甦らせようとしていた(過去を自分の絵筆で甦らせようとしていた)20世紀には特異な作家。
 
☆白の上の白
 
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モランディの「白の上の白」の絵。
 
白のいろんな顔を引き出している。
 
モデリング(立体感を出すこと)も否定はされていない。
 
 
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(マレーヴィッチ(1878~1935) 「白の上の白い正方形」)
・芸術はゼロから出発する
「フラ・アンジェ...」の画像検索結果
 
(フラ・アンジェリコ「キリストの変容」サン・マルコ美術館)
 
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ピエロ・デ・フランチェスカ
「キリストの笞打ち」
 
 
 
 
 
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モランディの壺と重なるピエロ・デ・フランチェスカの絵。
 
「聖母子と聖人たち(部分)」
 
 
 
緻密な演技
 
埃がついていると光は独特な反射を見せる。
 
モランディの友人でもある美術評論家のロベルト・ロンギもモランディの影響を受けながら過去の画家たちを発掘していた。
 
 
 
☆モランディは16世紀イタリア宗教画に自分の色調を見つけようとしていた。
 
全体にグレーの中で青や赤を使っている―イタリアの宗教画の影響
 
アトリエの窓辺でカーテンで光を調節していた。
 
 
 
☆モランディ―過去の画家たちの持っている可能性を現代に引きだそうとしていた。
 
モランディはカラヴァッジョについても関心があった。
カラヴァッジョもロベルト・ロンギの書いた論文によって評価されるようになった画家。
 
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カラヴァッジョ 「エマオの晩餐」

 

いま上野で「カラヴァッジョ展」をやっていますが、とおっしゃったので、

(12時間前にみてきたばかりですよ!)と心の中で答えていた私です。

 

カラヴァッジョ展 国立西洋美術館 (~6月12日(日)) 

 
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モランディの暗いトーンの作品。
 
(カラヴァッジョ的なモランディの絵のスライドは数枚あったのですが、本展では出ていない作品だったみたいです)
 
カラヴァッジョ的なものをどう自分の絵に蘇らせられるか。
カラヴァッジョの闇の中から浮かび上がる人々。
 
キリストの復活をモチーフにしたカラヴァッジョの絵。
 
☆モランディの作り出す演出は、過去の画家たちから全く新しい形で引き出されたものもある。
 
☆過去を清算しようとした20Ⅽ美術の作家たちと逆の行き方。
 

仰視(ローアングル)―モニュメンタルな存在感。
 
ひっついている。それぞれがどこかでひっついて対話したりしている。
 

「壺たちの反乱」モランディの友達であり詩人が書いた小品

「モランディの壺たちがモランディに反抗し、テーブルから落ちて壊れる」
 
モランディがこの壺たちにつける演技、メーキャップに反抗する様子が描かれている。
 
 
 
モランディの関心―ジョットー、マザッチョ
 
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マザッチョ 影を効果的に描いた画家。中世には影の表現はなかった。影―高原の意識がないことが多い。
影が描かれるようになったのは15Cから。
 
 
 
 
奥行きの線上に壺たちを並べる。
 

☆死者たちとどうつきあったか。
 
現代アートがもっとも大きく動いていた時代。そのことを知っていた。
モランディのまわりには哲学者評論家、詩人の友人がいた。
 
その動きを知っていながら、モランディは自分の絵の世界を描きつづけていた。
 
ポスター ジャクソン ポロック Convergence
 
ジャクソン・ポロックのドリップ・ペインティング
「カンヴァスはどこをとっても同じだ」
 
「モンドリアン」の画像検索結果
 
モンドリアンの絵には否定的だった。
 
 
 
弟子のひとり。
 
「ある意味、同時代の画家たちに対し、静かな論争を仕掛けていた。」
 
 
(モランディの壺たちが、互いに)ふれたりざわついたりしているものもある。30年代に多い。
 
 
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イタリア・ドイツ ファシズムの台頭
 
ファシズムが擁護したのは、ギリシャ、ローマ、古典、カッチリした形態の美術
 

モランディ…道を作る―ざわつく不安定さ
モノたちは自己破壊しない
 
☆モランディの地の塗り方ーうちで激しく蠢めいているものを抑制しようとしている。
しかしそれがストレートに出てくる作品もある。
 

☆過去の画家たちのまなざし(フィルター)を通して同時代を見ていたのだろう。
 ⬆︎
ボローニャ大学の美術史家フランチェスコ・アルカンジェリ←モランディに批判される
 
 
 
モランディは同じことの繰り返しになることを危惧していた。
 
 
「何かが上手くいっていない」が口癖だったと友人が語っていた。
 
 

どんな画家にもこだわったモチーフがある。
一時期的だったり、ほかのモチーフも描いていることが相対的に多い。
 
 
ウォーホル「反復こそ生きるということ」
 
(ウォーホルかなと思うけどメモの字が読めない…)
 
 
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講演後の質疑応答
 
Q 同時代の画家でモランディのように同一モチーフを描き続けた作家はいたでしょうか?
 
A 質問とは違うかもしれませんが、ということでモランディから影響を受けた画家と作品の紹介。
 
Q モランディはなぜ壺ばかり描いたのでしょうか(隣に座った若い男性)
 
A 心理学的な一般的にある行為として、4,5歳の子どもが牛乳の瓶の蓋など、つまらないものを集めることがあるが、
その行為についてなぜと聞かれても答えられないのではないだろうか。
 
モランディの描いた瓶や壺は日常的なものばかりだった。
モランディが尊敬していたシャルダンの静物画のモチーフ。
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みすぼらしい、打ち捨てられたようなものを絵によって引き立てている。
 
Q モランディの絵には白隠の絵に通じるものがあるように感じますが。
 
 
 
たしかにモランディの絵には禅に通じるものがあり、外国の研究者からお前は日本人だからわかるだろうと言われることがある。モランディが禅についてなにかを語っていたというものは残っていないが、水彩画やエッチングにはあきらかに禅的なものを読み取ることができる。
 
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岡田先生の講演は慎重に選ばれた言葉と多くのスライド画像を交えて進み、モランディ展ではじめてモランディの絵を見たような私にさえ、沈殿するなにかがある講演でした。
 
スライドをほんとうに多くご紹介いただいたので、できるかぎり自分の手持ちの図録や画集、ネットから探してみましたが、まったくおなじ絵にならなかったところもあって残念です。少しでも講演の雰囲気が伝われば幸いです。
 
ではでは♪