理研のわかめスープは常備しておきたいスープですが、
わかめちゃんがマスコットになっとる( ´艸`)。
で、なにげなく、『松本竣介 身長日本美術文庫』を読んでいたら、
有名な「Y市の橋」について、こんな解説がありまして。
(「Y市の橋」 昭和21 京都国立近代美術館蔵)
「一九四四年二月に竣介は理研映画第三制作部に動画課員として入社した。同社は一九四五年三月空襲のため西巣鴨から神奈川県の大船に映った。頻繁な空襲のなかを彼は下落合から往復四時間以上をかけて通っていたのだが」
この本、もう買って二年くらいになるんですが、きょうはじめて知ったよ!
(ふしあななんですワタシ)
理研映画ですと?
まさかそれは理研のわかめスープの理研、
あのスタップ細胞の理研、
と同系列会社なのでは!
と思って調べてみました。
理研科学映画(1938年 - 1946年)[編集]
1938年4月、理化学研究所の理研産業団(理研コンツェルン)の一つとして設立された[2]。
(Wikipedia)
1938年4月、理化学研究所の理研産業団(理研コンツェルン)の一つとして設立された[2]。
(Wikipedia)
おおおおお。
これからは理研のわかめスープを買うたびに、
松本竣介の「Y市の橋」が浮かぶに違いないよ!
だからといって、美術館ボランティアの解説で、
そこだけ強調してもちょっとな。理研と竣介のかかわりについては、
もう少し熟成させておこう。動画制作に携わっていたというのは、
そこは解説で触れてもおもしろいかもしれないけれど。
竣介は昭和二十三年六月八日に亡くなった。
その前月の五月に高熱をおしながら描かれた作品のひとつが、
「彫刻と女」(福岡市美術館蔵)だった。
森村泰昌展でこの部屋に入った時の衝撃ったら。
「彫刻と女」をモチーフにした作品が出ていることは知っていたのですが、
私は松本竣介がものすごくすきだ!というわけではないのに、
森村さんが渾身の力でつくりあげた竣介の世界に、
舟越保武になって、思わず、
「竣介、なぜ死んだ」
とこみあげるものがあったです。
竣介の「立てる像」は神奈川県立近代美術館所蔵で、萬さんの二枚の絵は
岩手県立美術館所蔵ですが、(「赤い目の自画像」はいま貸出中のもよう)
この展示コーナーに入った時、岩手県人としてすごく誇らしい気持ちになった私です。
実際的なことに役立つことではなくても、理研のわかめスープをかごに入れながら、
松本竣介のことを思い出すのって、楽しいじゃないかと私は思うんですが。