藤田嗣治の小宇宙~私のアトリエへようこそ 秋田県立美術館(~3/21)
この「優美神」が目当てで行ったのですが、この1枚ということはなく、
どの作品にも展示にも、この絵につながる必然性が感じられてよかったです。
映画「FOUJITA]の撮影につかった小道具も、藤田のアトリエ再現コーナー(これがよかった!)に
遣われており、また、美術館に入る前のカフェの壁には映画のパネル展示もあって、
あ~また映画みたい、と思ったりして。
(秋田市の映画館ではまた上映されていてうらやましかった)
「優美神」は戦後、戦犯疑惑(1947年に晴れますが)をかけられ、渡仏への思いを胸に
制作されていたもので、最初は暗い色調の画面だったのを、
渡仏が決まってからは足元に花々が描きこまれ、明るい画面になっていったそうです。
そのマケット(模型・ひな形)。
このマケットの復元されたものも映画の小道具にあり、その展示がまたよかった。
のですが、マケットには
「1944」とあったんですね。フジタがマケットをつくって渡仏を願っていたのは戦後で、
この写真が撮られたのも1948年なので、えええ?と思って、
べつに映画の中で使われた小道具なので、そこにえええ?と思う私が変かも~と
思ったのですが、監視員の女性に聞いたところ、親切に学芸員に電話で聞いてくれたあと、
映画のスタッフに問い合わせればわかるかも、
というところまで言ってくれて、わかった場合は連絡をくださることに…。
いままでいろんなところで質問をしてきましtが、監視員のひとはたいてい逃げ腰で、
よくて学芸員の方からあとで回答がいくようにします、たいていは、曖昧な日本の私的な笑みをうかべて、
逃げる感じ…。そんなことが何度も何度も重なって、疑問があってもあとで自分でしらべよう、と思うこともあるのですが、
あとで自分で調べてわかるようなことだったらそもそも質問しようと思わないじゃん(笑)。
今回はたまたま熱心な監視員さんにあたったのか、秋田県立美術館がそうなのか、ちょっと驚くくらい、
ありがたかったです。
フジタはマドレーヌと中南米を旅行して、そこで仮面や人形などを手に入れ、
アトリエの室内にかざっていました。
このアトリエ再現には、実際のフジタのコレクションもつかわれていて、もしこの部屋の
写真がポストカードになっていたらほしいなあと思わせるものでした。
ゴヤの「闘牛士」の絵がかけてあり、日本の祭りのおめんがあり、中南米の仮面があり、
大きな旅行用のトランクがあり、火鉢があり(フジタのアトリエや住いにはいつも大きな火鉢があり、
自分で茶を淹れ、喫んでいたひとだというのが好ましく思えます)、煙草入れや灰皿、
絵の中で見慣れた小物があって、もっと近くでみたい!と思ってしまいました。
1階は大壁画「秋田の行事」と平野政吉がつくりたかった「まぼろしの美術館」の模型が全体と断面で表現されており、
さらに短い動画がその美術館がどんなふうに構想されていたかを伝えていて、こちらも興味深かったです。
それは「秋田の行事」が美術館のどの部屋からも見えるように中心に展示されたもので、高い天井はガラスを通して四季の陽光を採りいれ、
とても戦前に考えられていたとは思えないモダンさでした。
秋田県立近代美術館所蔵のフジタの日本画も数点展示されており、フジタが秋田で日本画だけの個展を開いたことがあったこともはじめて知りました。フジタが秋田の少女たちをうつくしく可愛らしいと思って描いた絵は裏彩色で描かれ、やわらかなグレーの線と唇の朱鷺色が雪国の少女らしい絵。
いままでにも何度も秋田県立美術館で藤田嗣治の展示を見てきたのでしたが、今回はフジタ生誕100年の節目の年だからか、
見ごたえがあって楽しめました。
たぶん、お芝居や映画や、国立近代美術館の藤田嗣治の戦争画をはじめとした全所蔵品をみたこと、去年が戦後70年の節目であったことから、
戦争画についての展示をあちこちの美術館で見たことも、今回の展示をおもしろく感じさせたのではないかなあ。
藤田嗣治の手仕事だけの展覧会があったらおもしろいだろうなあとも思いました。
手芸洋裁大工仕事までなんでもやって、象嵌したテーブルもつくったそうです。
ではでは♪