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平幹二朗の「王女メディア」、よかったです。

メディアの誇り高さと賢さがイアーソンの偽善のすごさで際立って、

メディアの理解者である土地の女たちも、領主もみんな男性なんですが、

ある意味歌舞伎ですね。『ギリシア悲劇』は世界史の教科書に出てきたんですが、興味を持ったのは倉橋由美子の『ギリシア悲劇』をモチーフにした『反悲劇』からですね。王女メディアは「白い髪の童女」というタイトルで、あの後も長く生きたメディアが登場します。

殺すならイアーソンを殺すと思うけど、なぜわが子を殺すのか。憎い男の血をうけた子どもを存在させたくないのか。

高校時代からずっと疑問で、結婚して離婚してまさしく相手の血をうけた息子がいるわけだが、うーん、どういう感情が滾ればわが子殺しは起こるのか。


ギリシア悲劇は古典だし、若い頃は古典から読まないと、と思って全集も読んだけど、解釈はいかようにもできるなあと思いました。



平幹二朗のメディアはイアーソンの不実とその白々しいお為ごかしに深く傷つき、

領主の姫君と結婚したイアーソンと領主によって所払いをうけ、

イアーソンのために生まれた国も父も母も捨て、弟さえ手にかけて、誰も知る人のいない異国に来てのこの屈辱、と慟哭します。


誇りと子どもたちも生き残しておけば敵の手で辱めを受けるだろう、その前に私の手で、という気持ちと不実な夫イアーソンへの復讐。
前半でメディアが受けた仕打ちと嘆きの深さが、後半の姫君(イアーソンの重婚相手)殺しとわが子殺しにつながります。殺すと決めても苦悩し、迷うメディアに初めて共感しました。

イアーソンは子どもたちのために、領主の姫君との間に新しい兄弟を作れば、その子たちがいまの子達を助けてくれる、お前はなぜ俺の深い思いやりがわからないのだ、

お前はすべて俺が悪いことにしようとしている、といい続けます。

うわ!出たなモラハラ夫!


ギリシア悲劇は古典ですが、古典として残ったのは、どの時代の人間の心にも共通するものを描いているからです。

格調高いセリフがよく響きました。


舞台挨拶に出ていらした平幹二朗さんの腕の広げ方や観客に向けた笑顔は堂々として男らしく、王女メディアをいっそう素晴らしい思い出に変えてくれた気がします。