『自虐の詩』の業田さんだ!と思わせられました。
ロボットと人間をテーマにした小さな物語集なのですが、いずれにも、ロボットの向こうに、
同じ人間を人間扱いしないものへの批判、家族愛、生きる喜び、尊厳などについて考えさせられます。
優秀な刑事ロボットと彼を愛する上司の物語です。
読書好きで、仕事では熱く、しかし上司の指示を素直に受け入れる、そんなボノボが
まさかの偽札作りで逮捕され、困惑する刑事。
それは自分のICチップをあらゆる家電に組み込むこと。修理されてそれぞれの家庭にもどった家電から、人々は一瞬、あの奥様と女の子とロボットの幸せだった記憶を幻のように体感するのでした。
アンデルセンの「マッチ売りの少女」のように、家電がもたらす幻を夢想しながら、彼は機械の人生を終えてしまうのでした。
ロボットたちは愚かで未熟な人間を精いっぱい愛し、尽くしてくれます。
どのエピソードも紹介したいくらいなのですが、劣等ロボットのエピソードを。
劣等、からレット―というあだ名で呼ばれていたロボットは、じつは優秀すぎるロボットの店長に人間が反感をもたないよう、バランスとして劣等にプログラムされたロボットでした。
ロボット店長から、他店でプログラムを書き換え、店長ロボットになる道を示された劣等ロボットは、この店が好きだからここで働きます、と言い切り、ぼくは心まで劣等じゃない、と胸を張ります。
この劣等ロボット、という矛盾した形容に(ロボットのような、という言い方は良くも悪くも、人間離れして正確だとか能力があるという意味でつかわれますから)、もちろん、あのネコ型ロボットのドラえもんを連想するのですが。
ドラえもんがポケットから次々取り出す未来の秘密道具に似ず、じつはロボット工場の落雷がもとで劣等ロボットとして製造されてしまったというエピソードとか。
のび太君は劣等生だったけれど、そののび太君を救ったドラえもんは決して優秀なロボットではなかった。ドラえもんだからのび太君と友達になれた。
そんなことも連想しました。
ロボットたちは能の面のように、かすかにしか感情をみせませんが、その奥に隠された人間より繊細なさざ波のような心に、ロボットのように優しい人間になりたい、と思った私です。