2歳下の妹コミサの結婚
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岩手県立美術館の靉光《花・変様》。

先日は国立近代美術館のコレクション展で一挙に5点の靉光作品を見ることができて、しあわせでした。

広島県立美術館ではまた違う靉光に会えて、行ってよかったです。

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《コミサ(洋傘による少女》1929(昭和4)

結婚が決まった2歳下の妹の幸せを祈る言葉が背面に書かれているそうです。

ポーズや太い描線、黒っぽい色彩からルオーの影響も感じてしまいます。

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《ばら》1930(昭和5)
ちょっとピカソ風?

1907年生まれの靉光は大正13年上京し、太平洋画会研究所に通い始めます。黒田清輝の白馬会に対する太平洋画会研究所の構図があったようです。

この太平洋画会研究所で井上長三郎や鶴岡政男らと知り合うのですが、

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《花園の虫》昭和17年


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《花》のディティール。

魚のような謎の生き物が出現しています。





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《花》1941(昭和16)


1940~1942年にかけて、靉光は青っぽい花と鳥、虫との幻想的な作品を描いています。

《花園の虫》と《花》はその流れの中で描かれたものだとわかります。

太平洋戦争勃発、福沢一郎、瀧口修造検挙など靉光と仲間の画家にも暗い重い時代の中で、

靉光の才能が奔流となって、出口を求めているようです。


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《窓辺の百合》  1944( 昭和19)

この年の5月に靉光は召集を受け、5月21日広島西部第2部隊に入隊。6月2日南京到着。

9月に第3回新人画会展がひらかれ、靉光は《自画像》を友人に託して出品したそうです。靉光37歳でした。

1945年8月15日に武昌で終戦を迎えますが、兵站病院に入院し、右湿性胸膜炎にアメーバ赤痢を併発し上海の兵站病院に移され、1946年1月19日そこで死去しています。38歳の死でした。