きのうの岩手県立美術館のナイトミュージアムでは、

ミニコンサートにサンドイッチされる時間帯に、
荒井良二展のギャラリートークもありました。

ギャラリートークをしてくださるのは、荒井良二展担当の濱渕さんです。

夜のこの時間帯、ナイトミュージアムでふだんより多いお客さんへのギャラリートークということで、ふだんとすこしちがうギャラリートークの構成だったかと思います。なにしろお客さんが多い!

そして300点を超すボリューミーな展示点数に加えて、つぎにミニコンサートがある~という状況下でのギャラリートークは、熱が感じられて楽しかったです。


企画展示室前で、まず荒井良二さんについて、経歴とどんな経緯から絵本の道に入ったのかというお話がありました。

 学生時代にアメリカの絵本と出会って、そのおもしろさに目覚めたが、大学卒業後はイラストレーターとして忙しく、体を壊してしまう。その後1990年に絵本作家としてのデビューになるのですが、


展示室に入って最初に紹介されたのが、その荒井良二さんのデビュー作であり、自費出版された、
「MELODY]。

マンガがすきで、マンガの原画展もよくでかけるのですが、やっぱり、指定の言葉が鉛筆や青の色鉛筆で描いてあったり、スクリーントーンの指定が青鉛筆だったりする、アナログの原画に惹かれるわけですよ。

荒井良二さんのはじめての絵本は青と赤の2色刷りで、青と赤の版を重ねて印刷したものでした。
浮世絵で版木ごとに色がかわるような…。その指定や、絵本がつくられていく過程をガラスケース越しにですが、かなり具にみることができて、この展示は興味深いです。


荒井良二さんの絵本の作り方についてのお話も興味深かったです。

マインド マップ(と聞こえたのですが間違っていたらすみません)、
絵本の地図をまずつくる。

どんどん絵を描いていって、その絵からお話をひろっていく。

絵からお話を拾っていく、という言葉が印象的でした。

『えほんのこども』という絵本を例にとってのお話だったのですが、
この絵本では、「えほん」と「こども」というふたつのキーワードがあって、

このふたつのキーワードを頭においてひたすら描いていくのだそうです。

それは、絵本とはこういうものだという


「常識からの解放」。

本筋の絵本としての物語とはべつに、みひらいたページの中に、べつの小さなものがたりが入っているというのも、絵本の常識から離れて、子どもが絵本をよむときになにをみているか、をよく知っているなあと思いました。

荒井良二さんが、ギャラリートークの中で、ご自身は子ども時代絵本の読み聞かせや絵本をたくさん与えられるというようなことはなかった、とおっしゃっていました。時代的にそうだったかもと思って聞いていました。私は63年生まれですが、福音館書店の子どもの本がわーっと出るあたりぎりぎりの世代なので、その前の世代、50年代生まれのひとだと、学生時代や大人になって絵本と出会って魅了された、ということが多いみたいです。

子ども時代に出会っていなかったからこそ、子どもと絵本のことを真剣に考える大人になったのかなーとも感じました。


また、学芸員さんのギャラリートークの中で、荒井良二さんの原画のまばゆさについて、
じつは絵の下塗りに金やパールが塗られているから、ということをお聞きしました。

金の上に絵を描く緊張感、一発勝負。

またそれも常識からの解放であり、予定調和に着地することを潔しとしない荒井さんの思想がある気がします。

「たいようオルガン」の原画は明るくまばゆい原画も、トーンを落とした暗い画面の原画も、どちらも見ごたえがありすぎて、絵本を買って帰ろう…と思う気持ちがくじけました(笑)。原画があまりにも素敵すぎて。

印刷は4色インクで、アクリル絵の具から、グワシュ、色鉛筆、鉛筆、マッキー、はては修正液や接着剤までつかって、絵を描いている荒井さんの原画を表すことは難しいようです。

その贅沢な原画を、さらにはむき身のままで展示しているコーナーが何か所かあり、
それもまたすごい贅沢な展覧会だと感じました。

じつは夏に北九州市マンガミュージアムで「荒井良二 スキマの國の美術館」を見ていたのですが、展示されている作品数も展示構成も、まるっきりちがっていて、

特に最後のほうの、「イノチダモン」などのあるコーナーは、天井から荒井さんの書いたことばが垂れ幕になってつりさげられ、壁にはフレームがあったり、なかったりする、サイズも展示の場所も縦横無尽の作品がどーっと展示されていて、その迫力に圧倒されます。

ギャラリートークの中でもうひとつ印象的だった言葉は、

「解体と再構築」


展示の中に、荒井さんのいままでにつくった絵本の絵から抽出した絵でつくられた、
「organ」という作品があり、
これはベニヤでつくられた四角い、工事現場の仮設くらいの大きさの小屋があって、
そのなかに再生されている映像を、ベニヤにあけられたスリットや小さなホールから覗き見る作品ですが、ここでしか見られない貴重なものです。


自分の絵を一度解体し、バラバラにしたものから再構築すること。


それはライブペインティングで描かれた「うちゅうのたまご」にも通じる考え方というか作り方で、

イメージしたのは、せっかく作った(と親には思える)ブロックを粉砕して、また違うものをそこから何度も何度もつくりだす子どもの姿でした。壊すことも作る喜びに直結しているというか地続きで、お湯が沸いてはまた静まり、またぼこぼこ泡立つようなイメージでもあります。