思えば、小学校2年生からえんえん図書館通いである。
田舎の高校で司書のねーちゃんをやっていたころは、学校の図書室から本を借りて、町の図書館から本を借りていたが、

青森市に住んでいた時は、県立図書館と市民図書館を遣える身分になり、

盛岡に来て10年になるが、もちろん市立と県立両方使えるってすんごいしあわせ、といまだに新鮮に感動しつづけている。ジブリの「耳をすませば」は全然すきなタイプのアニメじゃないが、主人公が学校の図書室、県立、市立の図書館と3か所から本を借りてよむ環境には垂涎ものだったし、いまもそこはすきだ。

52歳になっても、図書館で本を選んでいるときの気持ちは7歳のままである。不気味である(笑)。



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きょうは児童室で伝記モノを中心に借りて、一般室で野坂昭如を借りてきたです。

図書館で本を探す時に、目録カードを探したり、それでもなくて専門知識も全然ないし、人間性もどうかと思うような司書(だったのか?)に、

なんども、ええ?そんなへんな本あったかなあ?みたいな屈辱的なことを言われる、そんな時代錯誤な図書館はもうどこにもないと思いたい。ちなみに実話だが、12歳の時、フランツ・カフカの『変身』を借りに図書館に行ったのだ。

カフカという著者もタイトルも変だというのだった。

司書もどきの意地悪そうで嫌味ったらしいおばさんは、カフカ?え?と何度も繰り返して、仮面ライダー変身の本?ともうひとりいた司書もどきの男性と首をかしげていた。そんなやつらが司書だったんである。

高校の課題図書に『変身』があり、うすい文庫本だった。

さらにその市立図書館にはちゃんとカフカの全集もあったんである。のちに発見した。


というような辛酸もけっこうあったのに、図書館に通うのがいやになったことはない。

司書は図書館の主役じゃないから。

本が主役で、本はいつでもそこに待っていてくれるからだ。

『キュリー夫人』は光吉夏弥訳で、原題は、ザ・ラジウム・ウーマンだそうです。

点訳の宿題で出された、ルイ・ブライユの伝記がとても惹きつけられるものがあったので、これも伝記を借りてきました。あとスティーブ・ジョブズの伝記。

かねがねアップル社のアップルはなにに由来しているのかと思っていたので、ジョブズさんが果物がすきで、特に林檎は完璧なたべものだと思っていたので、アップルなんだそうです。

なんとなく知っている、名前だけは知っているひとについて、伝記を読むと全然知らなかったことがわかり、本はありがたいなあと思う。