東京に着いたなあ。

はやぶさ乗車中に見ていた美術展アプリから、
気になる美術展のご紹介です。

このラインナップ…。

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江戸時代中期の大坂や京都では、個性的な作風で人気を得た絵師が活躍しました。近年人気の高い伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)はよく知られていますが、同時代の大坂で活動した絵師はあまり知られているとはいえません。なかでも、墨江武禅(すみのえぶぜん)(1734~1806)や林閬苑(はやしろうえん)(生没年不詳、1770~80年頃に活動)は、当時の流行であった中国絵画を学んだ「唐画師」として独自の表現を追求し、大坂でも有数の絵師として人気がありました。 
 墨江武禅は、浮世絵を描きながら中国絵画にも関心を寄せ、光を意識した作品や西洋絵画の写しなど、一風変わった作品を残しました。林閬苑は、華麗な花鳥画とともに、荒々しく奇怪な表現の水墨画も描いていますが、その生涯はよく分かっていない謎の絵師です。 
本展覧会では、中国の絵画に憧れ、描いた人々を、親しみを込めて「唐画もん」と名付けました。なかでも優れた手腕をもって活躍した武禅と閬苑の二人に焦点を当て、彼らの画業とともに、同時代の大坂や京都で活躍した個性派の絵師たちも紹介します。




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小川千甕(1882~1971)は、明治末期から昭和期までの長きにわたって、仏画師・洋画家・漫画家・日本画家として活躍しました。 
 京都の書肆「柳枝軒」の家に生まれた千甕は、少年時代は仏画を描いていました。その後、浅井忠に洋画を学ぶ一方で、新感覚の日本画も発表し始めます。同じ頃、京都市立陶磁器試験場の絵付け技手となったことをきっかけに「千甕」(せんよう)の雅号を自ら名付けますが、俳画や挿絵画家としては「ちかめ」の名でも親しまれていました。 
 明治末、28歳で東京へ越し、『ホトトギス』などに挿絵、漫画を発表して人気を博します。さらに1913年(大正2)には渡欧し、印象派の巨匠ルノワールにも会っています。帰国後は日本美術院に出品し、本格的な日本画家として活躍しました。その後、少年時代に憧れた富岡鉄斎を思わせるダイナミックな筆遣いの南画(文人画)で愛されました。 
 本展は、千甕の初期から晩年に至る仏画、洋画、漫画、日本画約150点とスケッチブック、工芸などの資料を一堂に展示し、その芸術を紹介する初めての回顧展です。


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アサヒビール大山崎山荘美術館企画展「かたちのであいルーシー・リー、ハンス・コパーと英国陶磁」

本展では、”かたちのであい”をテーマに、陶芸家ルーシー・リー(1902-95)とハンス・コパー(1920-81)の生みだした、薄く繊細なかたちの組みあわせが特徴的なやきものに焦点を当てます。加えて、彼らをとり巻いていた英国陶磁の状況も鑑み、素朴かつ重厚で力強いかたちのやきものを創作したバーナード・リーチ(1887-1979)や濱田庄司(1894-1978)らとのであいも紹介します。 
 豊富な陶芸コレクションを有する京都国立近代美術館から、革新的なかたちのリーの《壺》(1965年頃)や、コパーの《花生》(1963年)などの代表作を展示するとともに、当館所蔵作品からは、それらとは対照的な英国陶磁の伝統に根ざしたバーナード・リーチの大作《スリップウェア グリフィン図大皿》(1952年頃)や、濱田庄司の《白釉胴紐注瓶(はくゆうどうひもちゅうへい)》(1955年)、18世紀の《イギリス スリップウェア鉢》、などをあわせて約95点を公開します。