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『再考・萬鉄五郎』萬鉄五郎記念美術館

手に入れたのは2年くらい前ですが、

今回発見だったのは、萬さんの短期現役志願兵時代に、ロシア文学者米川正夫と知り合っていたということ。

北海道からスケッチをしながら東京に戻ったというエピソードは、ああ、昔の画家だなあ、と思って頭に入っていたんだけど、え?ドストエフスキーの翻訳者の米川正夫?と驚く。

萬さんが配属された旭川の第七師団のロシア語教官だったもよう。

ちなみに米川正夫は1891年11月25日生まれだった。岸田劉生と同じ生年ですなあ。

図録の表紙は萬鉄五郎による萬鉄五郎のアトリエであって、

「萬鉄五郎、その突破口ー滲出の写真資料をめぐって」(水沢勉)では、ドイツ表現主義の代表的な画家・キルヒナーのアトリエの写真との共通点が指摘されている。

ってこの図録を手に入れてからいままでなにを読んでいたのか。

思い立って、青空文庫で高村光太郎の『緑色の太陽』も読んだんですが、

1912年の日本の若き芸術家たちに多大な影響を与えた論文が、全然いいとは思えなかった。

うーん。

日本の表現主義宣言なんだろうけど、あまり勇ましい感じがしなかった。というか、文章が読みにくい。自分でもよくわかっていないことを書いているんじゃないかとさえ邪推したくなる。

誰かリライトしてくれ。星新一の文体でリライトしたらいいんじゃないかなあ。ってか星新一に読んでもらって、エッセイでざっくりまとめてもらいたいくらいのものだ。大げさだと思われたら、青空文庫で高村光太郎の『緑色の太陽』をどうぞ。



今回は早めに準備して解説を!と思って、手持ちの図録をあれこれじっくり読み返しているわけですが、

萬さんの図録だけで6冊あるのよ。しかしこれが笑っちゃうくらい身についていないんだよなあ。

ま、いっか!(いくないのでは…)