田辺聖子さんの『窓を開けますか?』を読み返していました。

はじめて読んだのは中学時代で新潮文庫だったなあ。はじめて読んでから40年近く経っているのに、古い感じが全然しない。

余談ですが、私の地理は物凄いレベルらしく、アメリカ合衆国について、数年前まで北アメリカ大陸と南アメリカ大陸を合わせて合衆国だと思っていて、

実はアメリカ合衆国は北アメリカのごく一部だとわかった(『風と共に去りぬ』のスケールが凄すぎる)、

という話をしたら、

騒然となった。

まだまだアメリカ大陸について誤解があるらしいが、

私の地理感覚を根本的に直すのは不可能だ。たぶんアメリカ合衆国を合衆国の州のひとつと勘違いしているらしいんだけど、特に問題はない。

わりによく読み返してきた小説で、去年神戸マラソンを走ったときには、須磨や垂水や神戸の地名のひとつひとつが懐かしかった。

主人公の岸森亜希子は32歳のハイミス。連載が1972年なのでいまとはその辺の感覚がだいぶ違う。田辺さんはオールドミスは嘲弄があり不快だは、ハイミスには薔薇が色褪せてラベンダー色になっていくようなものの哀れがある、というようなことをおっしゃっていて、

中学生だったが言葉の違いはよくわかった。でもいまはハイミスさえ死語でしょうなあ。だって適齢期が遅くなって、女性だけではなく男性のシングルについても晩婚化という問題にされているし。

亜希子は40歳の桐生という男と付き合っているが、彼には妻子がいて亜希子と付き合う以前から別居中だった。亜希子にはハイミスの友達がいて、ラジオのアルバイトがあり、休みの日にサガンの小説を読みながらチョコボンボンを摘む、などというエピソードがある。

やりましたよ、サガンとグリコアーモンドチョコレートでしたけど。サガンも新潮文庫で朝吹登水子さん訳で読んだけど、ピンとこなかったなあ。



今回読み返したら、行き詰った亜希子が貯金を全部下ろして(退職届も郵送して)やってきたのが奄美で、アダンの林を抜けて珊瑚を砕いた白い砂浜や、深い青の海が描かれていて、田中一村の絵を思い出した。

中学生の頃は、地理感覚ゼロなので、神戸も奄美も天草(桐生ではない別の男の子と旅行に行った)も全然わからなかったはずだし、

神戸のパンもイメージがわかなかっただろうなあ。でもすきでいつも読んでいた、ってどこを読んでいたのか。

ふわふわした亜希子の人生や男やハイミスについての考察がおもしろくてすきだった。

年齢というものは恣意的に選び取るもので、美しいアクセサリーや手袋のように気ままに身につけてためす、というようなことや、

ハイミスの先輩のうつくしくて逞しい女史たちの描写や、太りすぎを気にしているハイミスの友達が食べ方がうつくしく、とんかつソースをだぶだぶかけていても手つきがうつくしいとか、

人生の警句とディティールがすきだったんだと思う。

出石の皿そばも出てきて、今回はじめて気づいた(笑)。だって神戸も私の人生に登場したのは去年ですが、出石の皿そばも去年はじめてたべたので…。

字が読めれば、本は何歳で何を読むという決まりはないけれど、大人になってから読み返して、あ、こういうことか、はけっこうあるので、読み返すのは楽しい。

私のいちばん年齢にふさわしくない時期に読んだ本は谷崎の『卍』ですが、小学校3、4年生だったので、サスケとかカムイが頭にあり、無理やり忍法ものとして読んでいたんでした。

(高校でちゃんと読みました)

自分の勘違いを楽しむらめにも本は断然読み返す派ですなあ。