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《松田松雄展》岩手県立美術館 2015年10月3日~11月29日

初日の3日(土)に行ってきました。

その前にこの日は息子が通う中学校の文化祭でして、
息子たちのクラスのステージ発表を見届けて、美術館に着いたのは14:00。

宇都宮美術館館長 谷新氏による講演会、
《いわきのマグマ 松田松雄の人と芸術》 於:ホールから参加です。

講演会を聴いて、それから展覧会を見るとよくわかる気がするので、最近はその順番です。

宇都宮美術館はルネ・マグリットの《大家族》をはじめとするシュールリアリズム絵画のコレクションや公園の中にある緑深い美術館という印象があり、

あの美術館の館長さんなんだな~と。

松田松雄といわき市立美術館の関わりは深く、谷氏はその当時、開館3、4年前の美術館のコレクション収集委員に任命されていたそうです。

松田松雄のエネルギッシュで人と厚く交わる、《陽》の部分が印象に残りました。

ポスターから想像していたのは、内向的で繊細な人物像だったので、

そのギャップに圧倒されたというか…。

いわき市立美術館のできる前に、いわき市民ギャラリー主催でヘンリー・ムーア展の展覧会開催に尽力する、と年譜にもあるのですが、

谷氏のお話によって、ヘンリー・ムーアの父が炭鉱夫であり、いわき市も炭鉱の町だったことも、結びつきのひとつになったことがわかりました。


また、松田松雄と佐藤忠良に親交があったことも。

佐藤忠良もお母さんの実家のある夕張で少年時代を過ごしているので、炭鉱というキーワードで繋がってしまいました。

炭鉱をイメージしてしまうのは、講演会のあと見た松田松雄の作品の、ある時期のものが炭を思わせるからです。

または海女の身につける潜水ウェアのような。

出品目録の97%のタイトルに《風景》が入っており、

《いつのころからであろう…
私が、自分の過去の出来事を、
風景として見るようになってしまったのはー。》

というチラシにも引用されている松田松雄の言葉を裏付けるようだった。


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中でも、いわき市立美術館所蔵の《風景(民ーA)》
《風景(民ーB)》《風景(民ーC)》の衝撃は大きく、絵も162.0×162.0cmで大きいんだけれど、

イスラム圏の人々のように黒い布を巻きつけ、項垂れる人々の群には、深い喪失を感じる。

大切なわが子を失った母、あるいは両親、あるいは子どもたちを亡くした悲しみを共有する人々の群。


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なぜこんなに繰り返し、この喪失を描くのだろう。
描いても描いてもまだ埋められないからだろうか。表現の深化を求めてだろうか。

私には息子がひとりいるけれど、小さな子どもを抱いて首を重く垂れている母親の姿は、昔、失くした命を思い出させ、胃が縮むような気がした。

抱きしめ合い、あるいは交接し合い、人同士の体温で生きていることを確かめ合っている男女の傍に、眠る幼児の絵も印象的だった。

裸だったり、黒い衣のままだったり、肉体の一部があらわだったりする強く抱き合っている男女から、

なぜか丸木位里・丸木俊の《原爆の図》を連想もする。原爆ということではなく、描かれている人間たちの肉体がうつくしかったからだ。



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初めの方の絵は色彩が鮮やかだけれども、松田松雄の世界はもう始まっているなあと感じる。


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作風は潔くガラリと変わり、その変化こそが画家なのだ、という感じがした。

この小さな筆の跡は、黒い衣の人々の群のようでもあり、雪山の樹木のようでもある。

ねむの木の子どもたちの描いた絵にも、こんな小さな人を画面いっぱいに描いたものがあった気がする。それを思い出した。

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最後の方にあった《風景デッサン》1993

遠くから見たときは、円山応挙の水墨画のように見えた。雪をかぶった枝が、力をためてはね返り、雪を次々落としていく、その光景を連想した。

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講演会のあと、10分くらいしか展覧会は見られなくて、すぐにレセプションに向かったんです。

が、あれ?顔見知りのひとが(美術館の人以外)いないぞ!いわき市立美術館からバスツアーで来た方がほとんどなのでは…。

人見知りの私には厳しい状況すぎるので、ちょっとだけ食べたら展覧会に戻ろう、と思っていたのですが、

なんとなく、この人と話したら楽しそうだ、という女性に話しかけ、松田松雄さんの教室に通っていて、絵を描いていたこと、

結婚を機に絵から染織に変えたこと、

「きれいな花やハーブを見ると染めたくなるけど、思った色にならないですよね」
と、話したら、

「絹やウールのようなタンパク質に色は絡むから、豆乳や牛乳を使うといいわよ」
(この通りじゃないけど、そういう内容)

と聞いて、目からウロコ。

「いわき市に来たことはありますか?」
というので、

「アクアマリンふくしまに。あ、今度12月に南相馬市のマラソン大会に出るので、また寄ろうと思って」

と話したら、そこから彼女の友達の女性も加わり、マラソンの話に。彼女たちは走らないけれど、友人や親戚に走っている人がいるということで、まさか、美術館のレセプションでマラソンから話が広がるとは!って感じでしたが、

私にも人に尊敬の目で見られることがあったとは、という感じです。走らない人からすると、タイムが遅くてもフルを走る自体がすごいことみたい。

楽しくお話したあと、美術館閉館まで1時間だし、ということでふたたび松田松雄展へ。

実際に松田松雄の教室の生徒だった女性と話したあとで見ると、

多くのいわき市民と関わり、いわき市にほんものの美術を、と活動した松田松雄と、モノクロームの画面の多い松田松雄がどちらもひとりの精神活動なんだと思え、

いきなり話しかけてきた私に警戒せず、いろんなことを楽しく話してくれた女性に感謝する気持ちになったのだった。


レセプションの受付でいただいた図録に多く収められている松田松雄の言葉を読んだら、

もう一度見に行こうと思います。今度は息子と一緒に。