きのう楽日に見てきた、≪鉈屋町怪談 理由≫。
7月公演では、「死んでも元気な美しい屍」で、やはり町屋の趣のある、お休み処大慈清水が
舞台でしたが、
今回は、同じ鉈屋町界隈のcさんが舞台。
開演前には上のポスターと同じ、和室に四角いテーブルがぽんと置かれたところに、
座布団が4つ囲み、そこで現代時報の高村明彦さんと前回の「死んでも元気な美しい屍」の作者である、
架空の劇団の高橋拓さんが、淡々と怪談についてお話をはじめていました。
BGMが映画「犬神家の一族」だった(笑)。
そしてこの三㐂亭さんがもとは毛皮屋さんであったことや、「網走番外地」などで知られる、
女優三原葉子さんの生家だった、ということを話して、
アメリカと日本の怪談やホラーへの構え方のようなことを語られたのだった。
私はその間、
座布団の間に見える、赤いケータイが気になっていた…。
舞台が終わってから記念撮影権をもらって、はい、ご一緒に。
脚本を買って高村さんにサインをいただいて、すばらしいキャストの方々と写真。
左のおばばさまは、先月の「死んでも元気な…」のおばばさま役で登場しましたが、
今回は、
前説で登場。練られたセリフだったので、アドリブではないだろうなあと思っていましたが、
脚本をみたら、ちゃんとセリフとして書かれていました。
で、今回登場した方が、右の白装束の「人型(ひとがた)」さん。日替わりで、楽日は蛇口仁志さんでした。
いろんな役をおやりになる方です。私はまだ「ワールド・ツアー」のラクダを覚えておりますよ。
ところで、物語そのものにはこの「人型」は関わっているとは言い難い、登場の仕方をします。
登場、というより、挿入といった感じでした。
連想したのは、原作者自身はあまりすきじゃなかったという、スティーブン・キングの映画「シャイニング」。
私はすきだけどな。あんまり前衛的な作品はわからないんですが、
スタンリー・キューブリックのヘンなもののスライド的な使い方を思い出しました。
物語は麻雀をしているもと同級生や塾の先生といった内輪の関係の4人と、
主人公である市川(ボーイッシュな若い女性、この大きな町屋の家にひとりで暮らしている)にしか聞こえない、マサコという声だけのひと。
最初は、市川が二重人格者で、内面の声が聞こえているのかなと思ったのですが、
次第に急逝した先輩であることがわかります。
3人の女性の個性もはっきりくっきり分かれており、会話劇としてもおかしい。
市川(1かわ) ボーイッシュでショートカット、黒い服装、クール
新田(2った)志麻 現在妊娠後期らしい妊婦で全体にゆるかわキャラ
三木(3き)梢 ボブに黒縁のメガネでグラマラス、感情の起伏が激しい
志麻の夫(になる予定)の渋谷(4ぶや)は先生と呼ばれ、元は彼女たちの塾の先生だったらしい。
めちゃくちゃ麻雀が強い市川だったが、じつはずっと引きこもっており、
「健康麻雀の店をはじめようかな」と口にしたりする。
妊娠中の志麻や梢と、または渋谷と3人で麻雀を打ち続ける。
麻雀を打ちながらかわす会話と天井から響く、謎の声。
町家の造りで芝居を見るということは、後ろのふすまから誰かが入ってくるかもしれない、
階段から誰かが降りてくるかもしれない、そこの引き戸が、奥のふすまが、
と、絶えずだれかがどこから来るかわからないという、不安なびくびくした気持ちに置かれることでもあります。
そのうえ天井からの声。でも幽霊ぽくなくて、元気でふつうに暮らしているひとのようである。
いちゃつく渋谷と志麻に、
家でやれよ家で!というので、最初は市川の内心の声か?と思っていたけれど、
マサコさん、と市川が二人だけ(市川だけということだが)になったときに話しかけるので、
ああ、そうか、とわかってきたのだった。
マサコの死がきっかけで外に出られなくなった市川。
ずっと同じところを回っているように見えた三人麻雀の世界に、
ふたつの異物が投げ込まれる。
破水していきみだした志麻と、
なぜか唐突に襖をあけて登場し、そのまま誰を襲うでもなく、畳に倒れ伏した「人型」」。
照明は落とされ、三人麻雀の三木と渋谷は死んだように眠っている。
市川は包丁を持ち、三木の肉体を切り刻み、料理に入れる。真っ赤な血の色のラーメン…のようなものができあがる。
けろっと起き上がってきて、その真っ赤なラーメンをたべる志麻が、
ニンニクたっぷりのラーメンがすきだった三木の肉を入れたラーメンであることを連想させるようなセリフを言う。まさか、この和やかな麻雀の世界になぜ唐突にスプラッタが入りこむ!と混乱のまま、
不思議な収束をみせて暗転、ののち、物語は終わった。
怖いと思うポイントはひとぞれぞれだと思うけれど、
私がいちばん怖かったのは、もと美容師で妊娠したのでやめた志麻が、
手荒れのためにずっと薄いビニール手袋をしていることで、
アトピーかな?と思っていたのだけれど、美容師で手荒れがひどくて、という話をして、
市川と二人の時に、その手袋を脱ぐと、手がまるで血にまみれたように赤い、
と市川がややおびえる…。
おっとりしてにこにこしている志麻が、じつは人殺しをしてきたのか?それがあの「人型」
(唐突に現れて倒れてからずっと死んだままである。いつ起き上がってくるかと思うとそれも気が気ではない)なのか?と思ったけれど、
全然そうではなかったようだ。
人型はふいに差し込まれる、日本型怪談の象徴であった(たぶん)。
なぜ志麻が怖かったんだろう?
姑獲鳥という妖怪のことも頭にあったと思うし、おっとりやさしい志麻が薄い手袋を脱ぐところが、
本性を現すのか、と一瞬、ドキドキして怖かったのかも。
脚本をよんだら、ちゃんと、手荒れによるあかぎれで血がにじんでいると書いてあった。
たぶん、セリフを自分のすきなように聞いてしまったのではないか。
私はあの時、血に濡れた両手を見せる、ふだんの優しいおっとりキャラではない友達に、
心底恐ろしい思いをしている市川の気持ちだったのだが、それも怪談の楽しみ方としてありなんじゃないかと思う。
舞台が終わって、記念撮影をお願いに行ったときにみたラーメンはびっくりするほど紅かった。
赤いものは怖い。
ではでは♪