竹宮惠子さんも、私が中学時代24年組という言葉がたぶん、マンガ評論専門誌『ぱふ』あたりが
始まりじゃないかと思うですが、流行っていて、
私は萩尾望都とか大島弓子とか山岸凉子とか…線の細い絵がすきだった。
竹宮惠子の絵柄はどうも、と思ってはいたけど、
『風と木の詩』は読んでいたし、『ファラオの墓』も時々読んでいた。なぜか読むといつも
鞭で激しく責め立てられるサリオキスなのだった。なぜ?
田中圭一の視点、これが会場中にあって、図録にものっているんだろうなあと
思いながらも、つい撮っちゃう。たぶん、全部は図録にも載っていないかもしれないので、
とりあえず気になるものはすべて撮っておいてよかったのである。
そう、
当時不思議だったのが鼻の描き方でした。
マンガがすきなので当然、自分も「顔だけ」落書きするでしょ。
こういう鼻の描き方もやりました。松本零士の女たちの鼻筋の点々も真似したなあ。
JUNEまでは買えなかったから、私は読んでいない。
買えなかったのはおもに懐具合の問題で、いまでいう、
ボーイズラブを扱った雑誌だからということではありません。
中島梓さんがボーイズラブの小説を書いたのはこの頃だったでしょうか。
24年組の影響を受けているというよしながふみの、『きのう何食べた?』に、
ジルベール、というニックネーム(なのか?)の30歳をすぎた、あまりジルベールっぽくない男性が登場しますが、
出会った時は12歳だった、というのがジルベールの決め手。
どーしても、こういう物語を描きたかったから、ほかの作品でヒットを飛ばして、
企画を通せるようにした、というエピソードが紹介されていました。
ガッツあるなあ!
でも24年組のひとたちってわりとみんな、反対を押し切って連載した、という話ばっかりな
気がする。そんなことは当時はわからなかったけれどね。
あー、大人になって、昔よんでいたマンガの展覧会があって、そのエピソードや
作画のためのスケッチブックまで見られるなんて、なんていいんだろう、
と、思った。
40年近い昔の14歳だったころ、マンガ家になれたらいいなーと思っていましたが、
美術もずっと2だし、それは無理だと思っていました。
しかし、マンガの展覧会がある時代が来たので、いい世の中になったなあ、
ということでマンガ家になれなくても、けっこうしあわせです。
14歳の頃も、51歳の今も、マンガのおかげで人生けっこうしあわせだ。