きょうの最後は北九州市漫画ミュージアム。
大分県立美術館の《『描(かく)く!』マンガ展~名作を生む画技に迫るー描線・コマ・キャラ~》にもこちらの北九州市漫画ミュージアム所蔵の原画や古い雑誌や雑誌付録などが展示されていました。
厨二という言葉がありますが、まさしく中二の頃、アニメ1次ブームで徳間書店から《アニメージュ》が出たのもこの頃だったなあ。
松本零士の作品も怒濤のアニメ化があり、いちばんすきだったのがハーロックだったなあ。
この北九州市漫画ミュージアムの受付にはメーテルさんがつめており、コミケのコスプレってこんな感じかなあとうれしかった。
でも館内はハーロック以外撮っちゃダメだったので、あとは記憶を頼りにレポートします。
最初に松本零士のコーナーがあり、
第47回企画展 「戦後70年記念 家族のてがみ ~手紙に刻まれた戦争の記憶~」 もりおか手紙館(~10/19(日))を思い出しました。
戦後、父が公職追放に遭い、戦犯の家族と蔑まれ極貧の生活をしていたことを、松本零士が『水木しげる漫画大全集 第2期 17巻』の戦記物の巻で語っていたので、
松本零士のヒストリーのそのあたりを興味深くよみました。
年譜やマンガや写真、映像などで立体的に松本零士を知るコーナーが北九州市漫画ミュージアムのトップであり、重要なポジションでした。
陸軍航空将校だった父の転属で兵庫県明石市、愛媛県大洲市など点々とし、大洲市で終戦。
父は公職追放を受け小倉に1947年に移るまで山で炭焼きをしてくらしたとありました。極貧生活とはその間のことだと思いますが、
小倉に移ってからは文化の交流のある土地柄で、本や映画をふんだんに吸収する日々だったそうです。
1954年漫画少年第一回新人王とあり、華々しいデビューをイメージします。
1958上京 本郷三丁目「山越館」に下宿し、
むかいの旅館「太陽館」新人の少女漫画家たちが徹夜でこもっていたので、そのうちの一人牧美也子と知り合い、やがて結婚します。
私は牧美也子の描く女、特に体と黒髪がすきで、『悪女聖書』がすきなんですが、
トキワ荘以外にもマンガ家を目指す若い人たちが議論したり、盛り上がったり、励ましあっていたのかなあ、と。
《荒井良二 スキマの国の美術館》展に向かった私たちであった。