ずっと見たかった《八月の鯨》、
海と追憶がうつくしく、心地よかった。
きのう見た《あん》がまだ残っているせいか、リリアン・ギッシュとベティ・ディヴィスの姉妹を樹木希林が一人二役でやるところを妄想したり。
樹木希林は意地悪な役をやらせても上手いし、献身的で生活を楽しむすべを知っている妹をやらせてもハマりそうである。
ずっと見たかった映画なので、DVDを借りてみるより映画館で見られてよかったよ。
特に事件は起こらない物語なんだけど、姉のリジーが盲人だということは映画を見るまで知らなくて、
点字の本を拡げて指で文字を読んでいる場面を見て、ハッとしたよ。
《あん》を見る前日に「積極的優生学」についてラジオで聴いたり、
点字を習い始めた夏に《八月の鯨》を見るなんて、
神さまがこっちだよ、と教えてくれているみたいだなあ。
私はリリアン・ギッシュは美少女時代のモノクロスチールで見ただけで、途中を知らないのだけれど、きれいなひとは特別な存在だなあと感じた。リリアン・ギッシュを知ったのは高校時代で、谷崎潤一郎の『痴人の愛』にメアリー・ピックフォードという女優の名前が出てくるので、そこから関連してなにかで調べたんだと思う。すっごい美少女!と当時から美少女好きだったので見惚れたんだけど、
そこから三十数年もしてから、老いた特別な女優であるリリアン・ギッシュを見られるとはなあ。長生きはするもにである。
ベティ・ディヴィスの妹が小柄に見えたんだけど、リリアン・ギッシュは164cmとウィキペディアにあった。もっと高く見えるけれど。
長身に母親譲りの長いブロンドが自慢だった姉リジーは、
夫も亡くし娘とも折り合いが悪く、メイン州の妹の家で世話をしてもらっている。
妹のセーラは庭の薔薇を摘んで硝子の瓶に挿したり、掃除をしたり、秋のバザーのための手芸品を作りためたりして、
(意地悪なリジーは"ビジービジービジー"、とせせこましいったら、とイヤミを言う。お世話になっているという引け目は微塵もなく堂々とした意地悪ぶりである)
その瞬間すべてを愛おしんで生きている。ベティ・ディヴィスといえば唇を意地悪そうに曲げた悪女(もちろん映画館で見たものは一つもなくて、映画の本で読んだだけである)のイメージなのに、
女優ってどんな役もまるで生まれつきのように演じるなあ。
セーラがずっと着ている煉瓦色のカーディガンが気に入ってしまった。
編物のすきなひとならわかると思うけど、ヨーク仕立てで、両の前立てのサイドにケーブルが一本入って、裾にだけケーブル編みが入っている。
さりげないデザインだけど、こういうデザインと色のカーディガンって市販ではまずないよね。編みたいなあ。
事件らしきものといえば、ロシアの貴族だった男爵とのディナーくらいかな。姉が意地悪を言って台無しにしてしまったあと、
妹が結婚46周年を亡き夫の写真を見ながらひとり祝い、リジーのことをどうしたら、と悩んでいる場面のトルコブルーのドレスもよかった。
夫は軍人で戦死したんだけど、結婚記念日にはきれいなドレスに装いを凝らして、ワインと薔薇を飾って、遺影に語りかけるなんて、
愛し合っていた夫婦なんだろうなあ、というところに悪夢に魘されて夢と現実を混同したリジーが興奮して入ってくる。
最後の場面は姉妹ふたりが海を眺めている。
スッと溶けるような終わり方で、それもよかったなあ。
近所の友達のティシャがブルーベリー摘みをしている場面、どうってことのないところなんだけふぉ、ブリキの小さなバケツに丸いブルーベリーの実を採っては入れるところをみて、
『サリーのこけももつみ』
を連想しましたよ。
こけももって昔の本にはよく出てくるけど、ブルーベリーのことで、この絵本でも小さなバケツにリズミカルな音を立ててブルーベリーが落とされます。
ティシャとリジーとサラの近所の老人たちの補聴器をつけたとか、配偶者が亡くなったとか、その噂話の場面で、ティシャが陶製のボウルに入れたブルーベリーをリジーからそっと離して意地悪をしていたのも、小さな場面なんだけど、印象に残っている。ティシャはサラに一緒に住むことを持ちかけ、いきなり業者を連れてきて、
サラが伯母から譲られた家を査定させようとして、差し出がましいわ!と言われてしまう。
サラは根気よく思いやり深いけれど、やっぱりリジーと同じ一族なんだと思ったわ。
海も夕日も、食卓も、木製の家具も、椅子も、一つ一つ、くっきりときれいに映し出されて、長くそこにあるものへの愛情のようなものも感じた。
いい映画でした。
映画のあと、SALEの服屋さんにふらふら入って、サラのカーディガンのような煉瓦色のスカートと、海のような色のワンピースを見つけたよ。
あしたのお出かけで着るのが楽しみ。
ではでは♪