を思い出すのだけれど、
あの映画のなかでも、主人公の友達の男の子がゲイだった。ゲイ的傾向があって、
ビリーのことが好きだった。最後の成長したビリーが『白鳥の湖』で主役をやるときいて、
駆け付けたときにはもうすっかりゲイらしいファッションとメイクをして、恋人もいるのだった。
第一、あの『白鳥の湖』も、たぶん全員男だった気がするしなあ。
この映画でも炭鉱の町に生まれて、ゲイとして生きている男性が登場する。
炭鉱の町に住み、長い歳月の間、ずっとゲイであることを誰にも気づかれなかったし、
本人も気づいていなかった老人もいた。
LGSM(炭鉱労働者支援レズビアン&ゲイ会)のリーダー、マークが炭鉱ストのニュースを聞くなり駆け出して、
バケツを、バケツを!と言ってバケツを集め、すぐに募金活動に入った場面は印象的だった。
マークはピンク色の頬と真黒なリーゼントの若者だが、年齢もさまざまな同性愛者たちのグループのリーダーになっている。彼が最初に炭鉱労働者支援を訴えた時、ゲイの仲間たちがみな手を挙げたわけではなかった。
最初のメンバーは6人。
「5人よりは多いさ」「7人よりすくないわ」
グループの最初からいる唯一のレスビアン(のちに2人のレスビアンが入ってくるのだが)である、
赤毛のモヒカンとパンクなメイクのステフもよかった。
最初は年齢も若く、お母さんのいいなりになっているようなひ弱さがあったジョーも、この活動のすべてを撮影する、専任カメラマンを自負するようになる。
炭鉱の人たちもみな好意的だったわけではなかった。
ゲイの団体だとは知らずに寄付をうけたあとになって、ゲイに支援されるなんて笑いものよ、と露骨に差別的なことを口にした女性もいた。彼女は卑劣な裏切り行為を働くが、
それでもどこか毅然としたものがあって、ただの敵役とは思えなかった。
炭鉱町の人たちは最初、LGSMを冷やかな目でみていた。
けれども最初から彼らに感謝し、打ち解け、話をしていた女性たちがいた。
男性でも組合の中心的な人物であるダイは最初から好意的で、炭鉱の町からロンドンのゲイバーにやってきたときも、物おじせずにユーモアまじりに感謝をつたえ、連携しようと訴えるのである。
LGSMと出会ったことによって、人生がまるっきり変わった女性もいた。
組合の下っ端で作業をしていた、自信のないようすだった主婦は、
LGSMのジョナサンに拘留は24時間までで、それ以上の拘留は証拠がなければできない、
と聞かされるや、警察に飛び込んで、スト妨害のための嫌がらせで連行された村の青年たちを
解放するまで梃でも動かない、というファイターぶりをみせる。
彼女はその後、ジョナサンに勧められて大学に入り、その地方では初の女性議員にまでなってしまう。
女性たちの中でいちばん魅力的なのは、炭鉱の労働組合委員長のヘフィーナ。堅実な田舎のおばさん、のようでいて、じつに懐の広い、柔軟で人を大切にするひとなのだ。
疲弊した炭鉱の町を救うために、マークは新聞の中傷を逆手にとって、「炭鉱とヘンタイ」コンサートをひらく。このコンサートの場面と、炭鉱の町の歓迎会でダンスを披露するジョナサンなど、感動的でありながら楽しく、手を取りあうことの強さを教えてくれる。
最後のレズビアン&ゲイプライド・マーチ、最初はパレードのいちばん最後につけ、といわれたLGSMだったが、
そんな彼らを炭鉱の町から大型バスを何台も連ねて応援にきてくれたひとたちがいたのだった。
人数がいちばん多いから先頭に立つように、ということになり、
炭鉱とゲイ&レスビアン会は、堂々たるパレードをはじめる…。
1985年という年はエイズが発見された年でもあり、映画の中でも(実話をもとにした
話なので実際にも)リーダーだったマークやジョナサンもエイズに感染している。
またゲイへの偏見がひどく、集会につかっていた書店の窓ガラスが割られ、募金をしていただけで入院するほどの暴行をうけたりする。
そんな中で、炭鉱ストを支援しようと立ち上がったのはなぜだろう。
ゲイや炭鉱だけではなく、マイノリティーであることで孤立し、誰からの助けもなく、いたずらに罵倒されたり、偏見に傷ついたりする人々がいる。
この映画はすべての偏見とたたかっている人たちへのエールのようでもあった。
実際のLGSMと炭鉱の町のひとたち。
私は偏見が少ない方だと思っているけど、どうなんだろう。
炭鉱の町の主婦が、
「聞きたいことがあるの」
とLGSMのメンバーに話しかけ、真顔で、
「家事はどうしているの?」と聞いたときには、
あ、偏見がないってこういうことじゃないか?とスッとした。
音楽もダンスも、ひとりひとりの表情も、どれひとつとっても厭なところのない映画だった。