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ひみつの王国 評伝石井桃子 尾崎真理子(新潮社)

本文542P、あとがき、参考文献、年譜までいれると580Pのボリューミーな本ですが、

石井桃子の101年という人生とその仕事を伝えるために、この長さは必要だったと感じる。


本の中に、人の心を木に喩える石井桃子の言葉が紹介されているけれど、101年の年輪を刻んだ樹木のなかに、

子どもだった頃の石井桃子もずっと生きている、表紙カバーにヘンリー・ダーガー『非現実の王国で』の絵が使われていることについて、本書でも言及はあるのだが、

小説はなにをどう書いてもいい、という森鷗外の言葉を援用して、書き手の思いとはべつの感じを読み手が拡げることもまた自由。

ちいさな女の子たちは石井桃子で、自らの理想を目指して戦っている人々は彼女の戦いというより、見つめつづけた時代の流れのような感じを受ける。



石井桃子について深い思いがなければできない本だった。けれども、編集者らしくフェアな目で石井桃子を私たちに見せてくれる。


判断するのはあなたですよ、という距離の取り方もよみやすかった。
石井桃子を尊敬しているが、盲目になって信望しているのではなく、かといって暴くような描き方ではなく、
心地よい速度と風通しのよい文章だった。

石井桃子や彼女がかかわりをもった作家や編集者や翻訳者、なかでも
子どもの本の作者たちが出てくるところはやはり読ませる。読まずにおられない。9歳下の瀬田貞ニが亡くなったおりの石井桃子の「承服できない」気持ち。『三びきのやぎのがらがらどん』も『げんきなマドレーヌ』も『ナルニア国ものがたり』も瀬田貞ニ訳以外考えられない。

『幼い子の文学』(中公新書)についても、なかで紹介されているミルンの詩と石井桃子が持っていた翻訳についての考えがつながっていて、興味深かった。



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好奇心にあふれ、希望に満ちたいきいきとした表情の石井桃子。

1907年生まれの彼女は最後まで結婚はしなかった。
結婚はしなかったけれど、恋愛や男性をきらっていたわけではなかった。
すきな相手はいたようだった。

ただ結婚に対しては、明治41年生まれの女性で、なにかことを成し遂げようと思っていた
女性なら、

結婚なんかしたらなにもできなくなる、と危惧していたようだった。

いまでもそういう考え方や生き方の女性は少なくないだろうし、
口に出さずにひそかにそう思っているひともいるだろう。

『幻の朱い実』、平成7年88歳で読売文学賞。

『ノンちゃん雲に乗る』をはじめとする石井桃子の翻訳以外の作品がどうも苦手だった私には、
この作品はおどろきだった。すごくすき!と思いながら読んだし、いまもすきだ。『幼なものがたり』もよもうと思ったのにまだ読んでいなかったことを思い出した。

『幻の朱い実』に関連して思い出すのは、

石井桃子よりお姉さん世代の野上弥生子(1885-1985)の最晩年の
『森』である。こちらも晩年に描かれた瑞々しい自伝的長編だった。

結婚すると女は仕事ができなくなる、という信念のひと石井桃子は、
でも野上弥生子さんは?結婚しているけれど仕事をしているじゃないの、
言われて、

だって野上さんは夫が学者だから、と答えている。この問答はいまの私が読むとユーモアさえ感じるのだが、
6人きょうだいの末っ子で、男の子は1人であとは女の子ばっかりという姉妹の中に育って、

上の姉たちの結婚に物悲しいものを感じていたようだ。自分の意思とは関係なく、抗っても年頃になれば
片づけられてしまう。

いちばん上の姉が嫁ぎ先でわずか31歳でなくなり、2番目の姉は非常に優秀で、その才を惜しんでもっと上級の学校へ進学したら、と進められるのだが、父親のきめた相手のもとに嫁がされてしまう。

そのふたりの姉の犠牲の上に、とは書いていないが、末っ子の桃子が上の学校にいって勉強したい、といったときは拍子抜けするほどすんなり通ってしまった。

あの石井桃子が学級文庫に心躍らせ、次々と本をよんでいたのは大正時代。彼女が進学を父に希望したのは、関東大震災の年だった。
翌年、目白の女子大へ入学し、汽車で通い始める…。


石井桃子の101年は近代日本女性史をみているようでもあり、もちろん、児童文学者としての面がいちばん大きいけれども、ある面では女性問題についてもっとも早くから関心をよせていた女性のひとりであったのかもしれない。