上巻はまだ、まんじゅうを山盛りたべる兵士がいたりして、絵柄ものんびりしたところがあったのですが、
下巻は絵も人間描写もなにかを突きつけるような迫力とリアリティがあります。
特攻、人間魚雷。
2000年の「あとがき」で水木さんは夢の中で戦死した若い戦友たちと会うのを常としている、と書いている。
飄々とした文章のなかに、
「自分でも意外なことのように思うのだが、今でも戦場での出来事はこと細かに覚えているようである。やはり脳みそから消えないほどの大きなショックを受けたのであろう。
考えてみれば、このショックが、当時の自分に「戦記マンガ」を描かせたということになるのだろうか。」
とある。
自分の意志だけではなく、若くして戦死していった人たちの無念さが自分に戦記を描かせているような感覚があったということだろうか。
『お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常』の中に、水木しげるのずいぼ(大食い)エピソードは多いが、
ほんとうは嫌いだった天ぷらをずっと文句もいわずに食べていた、というエピソードを思い出す。何十年も食卓に上がっていたのに、ある日突然、じつはおとうちゃんは天ぷらがきらいだ、
と言い出し、次女の悦子さんが、いままでずっとたべていたじゃない、と言うと、南方で死んでいった人たちのことを考えたら、好き嫌いなど言ってはいけないと思う、という答えが返ってきたというエピソードだった。
あとがきには、
戦争の悲惨さを伝えたい、とか、二度と戦争を起こさないようにしてほしい、といった直接的なメッセージはない。
若くして戦死していったひとをとても気の毒だと思っている、そう思っているせいか毎夜のように戦死していった若い人々に会う、と水木さんは書いている。
解説は戦争当時子どもだった松本零士さん。お父さんが軍人だったため、戦後極貧に陥り、近所の人から蔑みの言葉をかけられたことはいまでも忘れられない、と。
戦争についてなにも知らない。
もはや戦後ではない、よりもさらにあとに生まれた人間だから戦争の体験がないのは仕方ないが、
せめて戦争について語るひとたちのことばに耳を傾けようと思う。
ああ、もう雀まで鳴き出しました。
3時からずっとマンガをよんでいました。