朗読劇 戦没農民兵士の手紙 もりおか町家屋敷物語館自主企画事業
終戦七十年記念



6月21日 14時~ もりおか町家物語館 浜藤ホール


構成・演出 坂田裕一
出演: 

  大塚富夫(IBC岩手放送)
  小野寺斉子(演劇集団九月とアウラー)
  大森健一(劇団赤い風)
  江幡平三郎(IBC岩手放送)
  菊池与志和(劇団赤い風)
  甲斐谷 望(IBC岩手放送)

演奏 星佳奈 関田由美子(植木鉢やガラスの器を叩いてえも言われぬ音を奏でます)

キャストにアナウンサーもいれば演劇人もいることをとくに不思議とも思っていませんでしたが、
これは岩手独特の朗読劇のあり方らしいです。終演後の挨拶で大塚富夫さんがそうおっしゃっていました。

朗読劇と朗読と劇には画然たる線引きがあるのだろうか。
表現者同士がおなじ舞台にたつことで、おもしろい窯変があるのではないかと思って
見ているのですが。

6人はあるときは戦地からの手紙を受け取る家族であったり、
あるいは兵士そのひとであったりする。

1961年、岩手県農村文化懇談会が兵士たちの遺族を訪ねてまわって、本にまとめたものが
『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書)。現在21刷で、改版されることなく当時のままの形で増刷され、
売れ続けている…。
 
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開場すこし前についたときにはもう、長蛇の列でした。ひょえええ。
そしてチケット完売だったそうです。私はあらかじめ予約しておいたのでなんとか…

でもでも、なんというかいろいろ焦っていたんでしょうね。
お金とカードの入っている、私の中では「金目財布」を忘れてきてしまい、
日用財布の方にはお札が全然入っていなかった…。

そこから意識が飛びますが、なんとか財布をもって戻ってきて、開幕に間に合いました。

で、このパンフレット、コピーなのですが、なんと、あまりにお客さんが来たため、
パンフレットも捌けてしまったそうです。わざわざ私と息子の分、2部をコピーしてきてくれました。

パンフレットには、チラシやネットにはない文字の情報がたくさんあって、
やっぱりいただいてよかったなあーと。

構成・演出の坂田裕一さんからのご挨拶がのっていまして、

「終戦当時20歳の人は、今年90歳。
風化させてはならないことがある」

という言葉に連想したのは、水木しげるさんのことで、
93歳になられた水木さんはご存知のとおり、戦争で南方にやられ、
マラリヤで寝込んでいるところを敵の爆撃機にやられ、左腕を失くしたのでした。


舞台はほとんどなにもなく、灰色の直方体のなにかが6つ、ある。

墓標かと思った。戦争に取られて亡くなったひとたちの眠る墓なのではないかと思った。

やがてキャストが現れる。みな白いシャツに黒のボトムで、手紙を主人公として演じるための黒子に徹しているようだった。でもやっぱり、アナウンサーのひとは淡々と抑制をきかせた読みをし、演劇のひとは演じている読み方だった。最初は、朗読劇だからもっと淡々とよんでほしい、と思っていたのだけれど、

抑制のある手紙の文面の奥に、悲痛な叫びを抱えたまま亡くなったひともいるだろうと思って、
いろんな声で演じられるのは、亡くなったひとも、残されたひとも、一様ではないから、それでいいのかもしれない、と思ったりもした。

父に宛てた手紙は、兵士の父として読まれ、弟にあてた手紙は幼い弟がうれしそうに読み、
恋人に宛てられた手紙は、悲しみを滲ませながらもしずかに読まれた。


農民兵士の手紙とともに、その兵士のプロフィールがスライドに大きく映し出されるのですが、

(南方での戦死が多い、多すぎるなあ)

と感じました。たまたま、だったのでしょうか。
藤田嗣治の戦争画も脳裏をよぎります。

激戦地に飛ばされて、亡くなった農民兵士たち。

ほとんどは日本に残された家族や恋人にあてて書かれた手紙だったのですが、
(検閲を逃れたのは、こういう手紙はひとに言伝られたり、外に出た際に投函されたそうです)

唯一の例外が、「軍医殿」に宛てられた手紙と、その手紙を書いた全身をぐるぐると包帯で巻いた、
兵士だった。菊池与志和さんが演じた兵士は片目だけが包帯の中からかろうじて出ていて、

顎をおそらく砲弾かなにかで飛ばされ、軍医殿に顎をつけてほしい、と訴えている。
ほとんどがカタカナの文字と拙い文章に、彼の痛ましさをよりふかく感じる。


顎を飛ばされ、全身包帯だらけのすがたになっている彼の手紙が遺っていたのは、
衛生兵のひとりがその手帳をもって帰還したからだった。だから軍医殿に手紙を書いた兵士がどこのだれだったのか、わからない。ただ、おなじような兵士が何千何万といて、治療も満足に受けられないまま、お腹を空かせて死んでいったのだと思う。


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私がロビーに出て、そうだ、本を買っていこうと思ったらもう3冊しか残っていなかった。

それもやはりうれしかった。私は盛岡に生まれ育った人間ではないけれど、
このまちにも空襲があり、高松公園にはシベリア抑留の記念碑があり、自身もシベリア抑留を体験している佐藤忠良の少女像がある。幼い女の子は向日葵をささげもつようにしている。酷寒のシベリアに散ったひとたちへの鎮魂をこめて、太陽の花をもたせたのだろうと思う。

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貴重な当時を知る資料の展示もありました。

ガラスで遮ったりしていなくて、生々しいほど当時を感じさせるものばかりでした。


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平成生まれの息子は、ひいおじいちゃんは戦争に行ったの?と聞いてきたので、

明治45年生まれの祖父(私からすれば)は、小学校の頃北上川で水泳に熱中しすぎて、
中耳炎から聴覚を失い、障害者手帳をもっていたひとなので徴兵されなかった。
かわりに板金工だから中島飛行場で飛行機をつくっていたそうだよ、と答えた。
祖父から戦時中の話をきいたことは一度もない。祖父が中島飛行場で働くことになったので、
一家は三鷹に当時住んでいたらしい。空襲もあったのではないだろうか。その話も一度も誰も
話さなかったし、私も聞いたことがなかった。

昭和15年生まれの父は戦争が終わったとき5歳だった。
彼の父は戦争に取られただろうか?

農民兵士からの手紙のなかに、

祖父と同姓同名のひとがいた。

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外に出たら、雲が湧いて出るようだった。

空を見上げて、雲の形を眺めていられる、その自由と平和をかみしめた。




朗読劇「戦没農民兵士の手紙」は、

7月26日(日) 14:00開演(13:30)開場で


雫石中央公民館で公演があるそうです。

見逃した方、ぜひ♪