習い事の思い出 ブログネタ:習い事の思い出 参加中
本文はここから


思えば裕福の対義語のような家だったはずだが、いろいろやらせてもらったものだ。



まず最初はオルガン教室。


私が通っていた仏教系の保育園(だからクリスマス劇なんか聞いたこともないわけ。

かわりに花祭りの甘茶の記憶はうっすらある)では、土曜日の午後にヤマハのオルガン教室が

開催されていて、


保育園の子達も習いに来ているわけだが、


そこに、


オルガン教室に通っている子、

通っていない子、


の壁があった気がする。


でもべつに通いたいと強く思うほどじゃない。


ところが小2になった頃、叔母さんが電子オルガンを送ってきたんですね。

息子たち(いとこ達は私より2,3歳下だった)に習わせようと買ったんだけど、


どちらも見向きもしなかったから、というわけである。


叔母さんは躁的な気質で買い物をポンポンするし、気前よくひとにやっちゃうのだ。

まあ社長夫人ということもあるんだけど。


そのオルガンがうちにきたので、私がオルガン教室に通いたい、と、どうせダメだろうなーと

思いながら頼んだらOKがでたんである。


オルガンを買うよりは月謝の方が安いといっても、音楽教室だからそれなりだ。


週一、土曜の午後に専用バッグをもってでかける。


最初は楽しいんだが、だんだん、ほかの子との差がつきすぎてさびしくなる。

みんな保育園児なのだ。オルガン教室は4年あり、だいたいが保育園の年長からはじめて小学校の3、4年でピアノ教室やエレクトーンへステップアップしていくものなのだった。


私は当時は気づいてなかったが、左利きということもあって、主に動かす方の右手の動きがスムーズにいかない。それでもキーを押すと音が出て、アニメの主題歌やCMソングをこの音か?と思いながら勝手に弾くのは楽しいものだった。


発表会は大抵シンバルである。もちろんいちばんの年長にもかかわらず、いちばんできない生徒にできる楽器だからである。という当時の劣等感がいまだにつづいていて、息子が小学校最後の演奏会でシンバルをやりたい、と希望した時は、


内心、


なんで!ドラムスの方が目立つのに!


と大人気なく内心がっかりした。


しかし息子は年下の子にいい役をゆずるつもりでシンバルを希望したのではなく、

シンバルがほんとうにかっこいいと思ってのことだったのだ。


オルガン教室に通ったことは、でも、全部が無駄かといえばそうでもない。


ただ、近所の子供たちもやっているし、という安易な理由からはじめたソロバン塾、書道塾(どちらも近所の公民館でやるので、オルガン教室の1/2以下の月謝だった)のため、週に3日習い事に通うことになり、


自分から言い出したことだが、ただでさえ疲れやすい子供だったので、だんだん辛くなってきた。


5年生になって、オルガン教室を卒業した。


土曜の午後の習い事がなくなって、私はびっくりするほど気が楽になった。


思い切って親に、書道とそろばんも辞めたい、と伝えたらあっさりいいよ、と言われた。

激怒する親じゃなくてよかった。


おねえちゃんはその頃、耳鼻科にも通っていたし、

(保育園時代、耳の形を粘土でとろうとして、耳に粘土が入ってしまったようで、

当時その粘土をとるまでプールに入れないと言われて、定期的に通っていたのである。

なんで耳の形なんか、粘土でとろうと思ったのか、当時の自分が天才すぎて考えが全然見えない)


疲れるだろうと思っていた、と後に言われて、あー、疲れやすい親でよかったと思った。


私の疲れやすさは母からの遺伝であるが、おかげで疲れやすい気持ちをわかってもらえて、

それがうれしかった。習い事の思い出というと、母にわかってもらっていたんだ、と胸が晴れた瞬間のよろこびである。


習い事は小学校時代だけだった。


そこで十分懲りた。


私は定期的に通ってなにかを習うということに向いていないということである。



しかし大人になって、公共機関でやっていたワープロ教室に通ったり、自分でお金を出してパソコン教室に通ったりしたが、それは続いたので、


要は、


ピアノやソロバンや書道が苦手だった、

苦手なことを習うのがきらいだった、


ということかもしれないなあ(笑)。