私は軽い 派!
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こんにちは。
ブログネタ運営局のジョニーです。
友達にすっごいフットワークの軽い奴がいます
前日の連絡だったとしても、
予定さえ合えば、ほぼ断らない
さらに、ドタキャンとかは絶対にしない
当日に「ちょっと遠くまで行きたいよな」
って気分になったら、「いいね」
と普通なら面倒くさそうなことでも必ず乗ってくる
だから、いつも遊ぶときはさそちゃうんだよね~。
でも、ほかの人もそう思っているらしく、
最近のそいつはすっごい忙しそう
この前、遊びに誘ったら、
「実は2ヶ月くらい予定埋まっちゃったんだよね」
と申し訳なさそうに断られちゃいました
さすが、フットワークの軽い奴は人気あるね
すみません、ブログネタのこの通信部分がけっこうすきなんです。
私もフットワークがかるいというか、わりになんでもOKしちゃうほうだなあ。
いちばんは自分が決めた予定なんですけど、
一ヶ月30日のうち20日が自分の予定で埋まっていたとしたら、3,4日はお誘いに乗っても
大丈夫ですよ、って感じ。そして私は友達も少なく、親戚は微量なので(北関東に住む弟夫婦と父だけ)、
その3、4日のかわりにどこかに行っちゃう感じだ。
こどもの頃、乗り物酔いが激しかったので、ずっと旅行ぎらいだった。旅行とは吐き気との戦い、
というイメージしかなくて、遠足をオールパスしたという母が羨ましかったくらいである。いまだったらたぶんありえないと思うけど、乗り物酔いが激しいのを理由に小中と遠足は不参加で、かわりに祖母と温泉に行ったりしていたらしいです。恐るべき甘やかし!と思いますが、母の乗り物酔いのひどさを知っていると、
むしろ引率の先生が大変だったと思うのでそれでいいのかと思う。でも私もけっこう重症だったんですけど。
心配性でもあって、交通事故を起こしたらどうしよう、と考えると怖くて免許証もとれなかった。というわけで、33まで自転車で行けるところまでしか自発的には行ったことがありませんでした。『無銭優雅』の栄さんみたい。
ところが33歳で転職のために自動車免許を取ったあとは、運転に慣れるためもあって、花巻~仙台くらいは時々クルマで出かけるようになり、
最高で埼玉の友達を地図だけ見て訪ねたこともあった。ナビじゃないのよ、地図なのよ。日頃いろいろ常識のない私だが、じつは地図は読めるのだった。
40代ではじめてヒコーキに乗ったあたりから、なにかいろいろはずみがついたんだよなあ。。。
47都道府県を死ぬまでに一歩くらいは足を踏み入れたいとか言っていましたが、そう思った数年前は1/2くらいだったんです、都道府県にあしあとをつけた割合。
いまは、残っている県の方がすくなくて、
沖縄県、大分県、宮崎県、熊本県、滋賀県、愛媛県の6県だけになりました。ということはこの数年で17都道府県を旅したってこと。すごいじゃ(あくまで当社比です。とっくに47都道府県を制覇してるじゃ、というひとも多いことでしょうたぶん)。
47都道府県を瞬くうちに?あるいた理由のいちばん大きいのは、マラソンを始めたことだと思うなあ。
マラソン大会にエントリーすると、近場だったら当日の朝寝坊しないこととカード引換のハガキを忘れないことくらいだけど、
遠方の場合、だいたいはJRで行くことが多いので、1か月前にはチケットを席指定で取らなきゃいけないし、エントリーと同時にホテルも予約しないといけない。マラソン大会の前日にカプセルホテル、というのだけは避けたいし、長距離夜行バスでマラソン大会に行くって、私には無理です。
となると、いろんなことについて、マメにやらないとマラソンを走れなくなるよね?
まずはマラソン大会のエントリー開始日をスケジュールに組み込んで、開始日に無事エントリーできたら、抽選で落ちるのは覚悟で宿も取る。落ちたらキャンセルすればいいのだ。
宿の手配、交通経路を調べる、マラソンの前後の観光も考える…。
せっかく遠方にでかけるならその土地の美術館とか催し物とか温泉とか、ないかな?と。
47都道府県と美術館とマラソン大会のパズルをやっているようなもの!
高知竜馬マラソンのときは、高知県立美術館がおもしろそうだと思っていたのでもちろん見逃しませんでしたし、高知に行くならサンライズ瀬戸でしょう、ということで寝台車も利用して、思い残すことはない感じだった。といいたいが、高知グルメを味わい尽くせなかったのが残念。日曜市はマラソン大会に出ていたら行けないっつーの(笑)。
出雲国びきマラソンは出雲で行われるわけですが、鳥取と島根の県境の境港によって、もちろん、
水木しげるロードや水木しげる記念館を堪能して、島根県立美術館や出雲大社も見て、大満足だった。
思いついて、あれ、やってみようかな?と思ったことに前に比べて自分でもおどろく反射で
手を出していることが多くなったなあ。
美術館ボランティアをはじめた(2012年~)
盛岡市演劇鑑賞会に入った(2013年~)
点字ボランティア養成講習会(6月~)
ほかにも、短期の講習会や講演会に申し込むのもすばやい方かも。
うーん、なんでこんなにフットワークがかるくなったんでしょう。
ちなみに齢51です。『論語』で言えば命を知る、と書いて知命の年代ですよ。
思うに、乗り物酔いがはげしく、いろんなことが怖くて行動全体に重石がついていたような
状態だったのが、
ある日、その重石が外れて、あれっ?私ってこんなにジャンプ力があったんでしたっけ?みたいな感じか?
昔、「サインはV」だったと思うけど、主人公の朝丘ユミがコーチに命じられて、鉛の入ったシューズでトレーニングをする場面があった。姉の仇討ちのためにバレーボールをはじめたユミだったが、最初はチビだしジャンプ力がないし、でほかの選手にあからさまにイヤミを言われたりしていたんだけど、それでも卑屈になることなく、
「人間やってやれないことはないわ。これが私の主義よ!」
とか言い切って(自分が劣っている状態でここまで大きく出られる人はいないと思う)、
猛練習に打ち込み、コーチの必殺鉛入りシューズでついに、チームメイトの度肝を抜くようなスパイクを叩き込むアタッカーに変貌を遂げたのだ!
というわけで例えが長くなりましたが、長年鉛入りのシューズを履いていた反動で、フットワークがかるくなったのでありましょう。
時々、これは無理なんじゃないかな、というスケジュールになることもありますが、そんな時もマンガのセリフを思い出すのです。
「人間、やってできないことはない」
これは『キャプテン』の3代目キャプテン・イガラシのセリフですが、目的のためには手段を選ばない、『キャプテン』の中でもっとも高いところへチームを率いた男イガラシは、
全国制覇のために、チームに一日10時間の練習を強います。
合宿期間とかじゃなくて、学校生活があって、その上での10時間の練習です。
もちろん昼休みも練習に当てられます。早朝練習からグラウンドが暗くなってからも、
近くの工場の明かりを利用させてもらって、その空き地で夜遅くまで練習。
この残酷なくらいハードな練習を3ヶ月やり遂げるイガラシのことを思い出すと、
いやいやいや、このくらいどうってことないでしょ、と思ってしまう私なんでした。
ちなみに作者のちばあきおさんは歴代キャプテンのうち、もっともイガラシに近いタイプだったらしいです。
さらにフットワークをかるくするために、
今年はいろんなものを捨てて、整理していこうとも思っています。
やりたいことを思いっきりやるために。
ではでは♪