藤田嗣治 《アッツ島玉砕》 東京国立近代美術館 無期限貸与
成田亨さんの年譜で、中学校時代に藤田嗣治の戦争絵画に衝撃を受ける、という言葉が
印象に残っていました。
展覧会を企画展・常設展とまわったあと、学芸員によるギャラリートークがあると聞いて、
もちろん参加しました。定員20名とありましたが、それをゆうに2倍は超えていましたが、全員ぞろぞろ
ついていきましたとも。
そのギャラリートークの最後に、成田さんと戦争絵画についてのお話もありました。
私は少し前に宮城県美術館で開催された《針生一郎 わが愛と憎しみの画家たち》で
椹木野衣さんの講演も聴いており、いろいろ重なるところの多い美術展でした。
成田亨さんが若い時代に影響を受けた恩師の阿部合成、小坂圭二の絵画と彫刻、
そして年譜にはそれぞれシベリア抑留、ラバウル出兵の体験が記されており、
成田さんは1929年昭和4年生まれで青森で終戦を迎えています。
青森市も青森大空襲
を受けていますが、成田さんはこの大空襲には遭わなかったでしょうか。
略年譜をみると、神戸で二度空襲に遭ったのち、青森で敗戦を迎える、とあるのですが、青森市とは
書いていないので…。
なぜ私が青森大空襲のことを知っていたかといえば、青森市に住んでいた当時、
平和公園を通って仕事に通っていたからで、平和公園には平和都市宣言の碑がありました。
ギャラリートークで、藤田嗣治の戦争画とともに、中村研一の戦争画も示され、
あ、あれだな!とわかったのはすこしうれしかった。
戦争絵画を描いていた画家は藤田ひとりではないのに、というお話を聞きつつ連想する
画家はたくさんいましたが、
小磯良平の絵も思い浮かびました。
戦争中に戦意高揚の目的で描かれた戦争画もありますが、
シベリヤ抑留の体験を絵にした画家もいます。南方での戦争体験を絵にした画家も。
戦争画の衝撃というのは、戦争を憎むという単純なものではなく、このような心を揺さぶる、人の感情に訴える作品をつくりたい、という衝動や、人物が多く登場する構成画のおもしろさであったり、戦場という非日常を描きたいということだったのかもしれません。