作者の言葉、から小説に入っていくところなんか、上手いなあと思う。
2,30年くらい前に小説の中の小説、入れ子構造の小説が流行っていたんですが、それよりもっと前に、
作者が居候に化けて先生の家に潜り込もうと思う、というような次で、もう小説の中の
先生の奥さんに呼ばれている(笑)。
居候している先の先生のあだ名は「ネコラツ」。
見世物小屋の看板に、大きなネコがラッパを吹いているものがあって、それが生徒たちの間で評判となり、
吉井先生に似てる似てる、ということで吉井猫ラッパ、略してネコラツ。
ネコラツ先生が妊娠したんじゃありません。
ネコラツ先生のおうちで飼っているネコと奥さんが妊娠しているんです。
居候の万成君がネコを蹴とばすと奥さんが立腹するわけだ。
しかしだからといってネコを大事にしているわけでもなく、生まれたネコのうち、
可愛いのだけ1匹残してあとは万成君に捨てに行かせるし、
残ったネコをうっかり尻もちで圧殺してしまうと、その後始末を万成君にやらせて、
万成君も最初にネコを捨てた川に流してやる。当時はネコの避妊手術もなかったろうし、
ネコは捨てるのが一般的だったんだろうなあ。
三門オットセイ先生ことオツトセイ。百閒がモデルじゃないかと思う。
最初はかるく見ていた生徒たちもこの先生は甘く見たらダメだと思う雰囲気がある。
授業がはじまっても教室に来ないので、生徒が見に行くとゆうゆう煙を長く吐き出している。
軍事教練を校庭でやっていて、その生徒たちがふざけていてこっちの授業に差し障ると、
いきりたって文句を云いに行く。
かと思えば、独逸語でパンの大食いをなんというか、そしてそれを早口で言うと先生になるだろう、
先生の語源は大飯ぐらいだ、と生徒を煙に巻く。
なんか百閒っぽいなあ。
百閒の唯一の新聞連載小説ですが、新聞ということは毎日書かなければならない。
最初は風船画伯・谷中安規の挿絵の遅れを心配していた百閒先生だったが、
ふたを開けてみれば遅れがちになるのは百閒の方で、この連載中は谷中安規画伯が
著者の書斎に詰めきりで挿絵を描いていた(版画だから彫っていた)と解題にある。
そんなわけで画伯の作業も詳らかに見ることになるわけで、或る時は画伯が牛の絵を細かく切って、
牛鍋の絵に貼っている。
(オットセイと生徒たちが牛鍋を囲んでいるところである)
変更になったカットを鍋で煮てたべるのだという。
また、文章が遅れるから、自画自刻自刷の自刻自刷を省略して、自画をそのまま
印刷にした挿絵も数点あるもよう。
この2点は彫ったようにみえるんだけど、「写真は本文に関係ありません」みたいな感じになっている。
大きなタコの挿絵もあったんですが、解題に、谷中画伯がタコの足のイボはいくつあるんでしょう、と
奥さんに訊いたら、奥さんが魚屋に走ってタコを買ってきた、ということもあったらしいです。
ひさしぶりに読み返して、ネコラツやオットセイのあだ名は覚えていたんですが、
猫を捨てにいくところや押しつぶして殺してしまったところなんか、きれいに忘れている(笑)。
授業のナンセンスなところはなんとなく覚えていたんだけど、文庫本で読んだので、
挿絵36枚を全部見たのも初めてだと思う。
谷中安規展がなかったら読み返さなかっただろうし、挿絵1点1点に注意を払ってみることも
なかっただろうなあ。
そして佐藤春夫もじつは全然読んだことがないので、これから読むのです(笑)。
なんで読まなかったか。名前が平凡だから…そんな理由か!だって室生犀星とか萩原朔太郎とか内田百閒とか、谷崎潤一郎とか、本名もあるけど凝ったペンネームが並ぶ時代に佐藤春夫ですよ。なんとなく鈍そうな感じだ、と思って読まなかった…。それが理由になるかと言われましても。
すごく変、と佐藤春夫を読んだことのある知人2名(どちらも女性)からの感想を聞いたので、楽しみです。