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谷中安規展(~本日05/17まで)岩手県立美術館

この「書斎」の手前の土瓶が気になる。土瓶?薬缶?森茉莉のエッセイの中に、休日のコックが土瓶で珈琲を淹れて、という文章があるので、

これで珈琲を淹れていたのかなあ。

日本茶と考えるのが自然なのですが、谷中安規は珈琲がすきだったというのでもしかしたらと考えてみる。

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制作年不詳の「アトリエ」
髪型から和服の画家は谷中安規で、洋装の女性は理想の妻かもしれない。テーブルに土瓶と湯呑みがあり、女性の雰囲気からすると珈琲である気もされる。



谷中安規は珈琲とシネマがすきだったというのは前のギャラリートークでも聞いていたのですが、
料治熊太が留守を谷中に任せて帰ってきたら、

台所にはコーヒーのカスが溢れていて大変なことになっており、料治熊太の奥さんがカンカンになったというエピソードがしみたわけですよ。

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「台所」1932年 
昭和初期の台所は小さかったんだなあ。

こりゃあコーヒーかすですぐに溢れそう…いや、ここが料治熊太の家の台所というわけではないけれど。




私はネスカフェ黒ラベル育ちで、ネスカフェ・クリープ・上白糖の三種混合も美味だと信じている。今朝は豆で淹れたコーヒーを雪印の練乳缶の底に残ったやつに注いで、ベトナムコーヒー(笑)。

豆のコーヒーは香りから違うし冷めてもおいしいが、だからといってインスタントコーヒーをdisる気は毛頭ないわけよ。標準価格米も新潟の魚沼産こしひかり棚田米もすきだし(でも電気釜で炊いたごはんはたべたくない)、おいしいはいろんなおいしいがあると思っている。

しかし昔の珈琲好きのひとは必ず珈琲豆なんですね。

水木しげる先生は赤貧時代、原稿料が入ると古書店で本を買い、喫茶店に入って珈琲を喫み、珈琲豆とお菓子を買って帰るのが唯一の楽しみだったそうですが、珈琲はネルドリップで、奥さんの布枝さんがネル袋をいつも洗って乾かしていたというしみるエピソードも思い出される。

また、池田暁子さんがセツ・モードセミナーに通っていた時代、長沢節がコーヒーは豆のコーヒー、という美学で淹れるのは先生たちだったというエピソードも。池田さんの「片づけられない女のための こんどこそ!片づける技術 」(文藝春秋)はすごい汚部屋を自力で片づけた名作ですが、
(池田さんの作品では妹尾河童さんのような詳細なイラストがすきで、コチャコチャ描き込み系作品のファンだ)


そんな汚部屋状況にあっても珈琲はインスタントにはしないのが美学。でもモノが多いので、淹れた珈琲のカスがものの拍子で大事なものの上に溢れて焦ったりするんですが。

谷中の珈琲豆が溢れて、ってネル袋はあらって淹れるけど中のカスは平気で流しにぶちまけていたとか、ゴミ箱にあふれさせていたとかかなあ。

当時ペーパーフィルターは普及していたんだろうか?昔お役所バイトで来る日も来る日も大量のコーヒーをマシンで淹れていましたが、業務用のコーヒーマシンのコーヒーカスはすごかった。そしてコーヒーは香りがいいが、あれもいちおう豆ですよね。放置したら臭いが心配かも。新聞紙に移してよく乾燥させれば匂いの吸収剤にも、肥料にもなるんですが。

「(昭和8年の)10月4日から半月ほど」「下落合の留守宅を任される」。

んー、コーヒー豆の溢れ方が気になって困る(笑)。何kg淹れたんだろう?

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料治熊太の留守宅を預かっているあいだに、料治が刊行していた版画雑誌「白と黒」41号の編集も任せられ、

41号は谷中安規特集号になってしまった、

(谷中ががんばりすぎて自分特集号にしたのかと思っていましたが、

今回のギャラリートークで、

もともと料治に「白と黒」で個人作品集を出したい希望があり、留守宅を頼み、版画雑誌「白と黒」「版藝術」の編集を委せるついでに谷中安規個人特集号にすることも頼んだということだったとお聞きしました。

いやー、1回聞いたしいいか、と財布を探すのを諦めて帰っていたら、その後もずっと意外に大胆な谷中安規のイメージのままでした。


「白と黒」41号(昭和8年11月)の版画はとくに
おもしろいものが多い気がします。谷中安規の版画と出会って版画家になったという大野隆司さんが当時の年収からしたら踏みはずしたような大金を購って41号を手に入れたというのもわかる気がします。しかも2冊!

どのように版画を作っていたかという証拠にもなる擦りで、蝶を吐いている男の場面の右端に、蓮の葉を持った人とそのまえにも人がいて、あきらかに違う構想のものなのですが、

このように大きな版木に何枚分も彫り、一度に擦って、擦りあがってから切り離していたそうなのです。

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「可愛いゝ龍」(「白と黒」41号)


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創作版画は絵も自分で描き、自分で彫り自分で擦るまでやるので、大変な労力がかかることになり、料治熊太もいざやるとなると躊躇っていたのですが、

谷中安規は留守宅に寝泊まりして木版多色刷り、60部発行の「白と黒」を1500回くらいの擦りを行なって制作したということです。

そりゃあコーヒーかすを始末する余裕もなかったのでは、と思うが、

凄まじい集中力に圧倒される。

「白と黒」41号についてのギャラリートークで1500回の擦りとカンカンの料治熊太の奥さん(でも谷中が子どもを抱いている写真があるので谷中を好いていただろうと思う)、てんこもりのコーヒーのガラが印象に残り、

妙にコーヒーが喫みたくなり、帰りにコーヒー豆を買った私だった。