「谷中安規展」がはじまって、岩手県立美術館のガレリーナでパッと目に入ったのは、
図録ではなく限定1000部のこちらの本でして、
表紙から最初は八坂喜代さんとおっしゃる方がつくった私家版なのかな、と思ったのですが、
谷中安規の作品をみたことがきっかけで版画家を目指した大野隆司さんが、
「谷中安規のさいごを見取った八坂喜代さんが綴ってくださったまま、皆様に読んでいただき
たいと存じます」と奥付にあり、
その心根にうたれる。谷中安規の三十三回忌をむかえて思い出を綴った、と記されている。
佐瀬喜代さんについては、『谷中安規版画天国』のなかで料治熊太が、
「餓死のかげにあった一人の愛護者」としてよく書き、
谷中を孤独のうちに死なせなかったことを神様に感謝する、という結びになっていて、
八坂喜代さんにしても料治熊太にしても、谷中安規には心の中に神様がいるようなひとが
見守ってくれていたんだなあと思って泣ける。
大野隆司さんの「猫のつめとぎ」は内田百閒が谷中安規について、安規が同居していた人の家の
雨戸や戸袋をむやみと削って困る、という話を聞いて、
「猫が爪を磨ぐやうに、版画化はさう云ふ心掛けを持つてゐるのか知らと、半ば敬服しつつ、
一緒に御飯を食べる時などは餉大や茶箪笥を削られやしないかと、警戒の念を緩めないのである。」
と書いており、そこからとったタイトルであるもよう。こちらの猫ふたりは作者・大野隆司さんと
奥様であると思われ、
猫のつめとぎよろしく、テーブルをカリカリやりだした夫に、やめて!というところかと。
猫が擬人化されているのに、その傍らにペットであるらしい猫が猫のすがたで描かれているところがまた。
そしてこの版画も谷中安規のあの作品をモチーフにしているな、とわかるものが多く、
谷中安規展を見た後でよむと、ふむふむうなずけるのである。
しかし、目の澄んだ猫の版画と同時に、文章では思わず笑ってしまってから大丈夫か、
と心配になるものでありまして。
谷中安規の『王様の背中』の特装本と出会ってしまった大野さんは定額貯金通帳を持ち出して
買いに行った。その値は百五十万年。当時の年収は三百万円。妻は涼しい顔をしているが内心はわからない、
と書いているが、背筋がすーっと涼しくなるのは私だけでしょうか。
数年後のある日、料治熊太(なぜかくまたりょーじ、と思ってしまう。内田百閒が谷中安規の名前を間違ってしまう気持ちがよくわかる)が出していた版画雑誌のひとつ、「白と黒」41号を手に入れる。41号は谷中安規個人特集号で、もちろん、摺りもすべて谷中安規によるすごい号なのだった。とは思うが。
三百万円。妻は悟ったような顔をしている、と大野隆司さんは書く。百閒が愛妻家であったなら、というような事例をみているようである。