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先日、もみじちゃんからムーミンのミイの柄のブランケットをプレゼントしてもらったので、
背景をミイにしてみました。

さて、

大人たちがもみじちゃんにはまだ早いか、とか思いながらも
向田邦子のドロドロ世界を語ったあとに出てきたのがこちら。

『マリカの永い夜・バリ夢日記』吉本ばなな

多重人格症の少女・マリカと精神科のドクターの物語。マリカの中にいた
たくさんの人格が次第に統合されて、

最後にオレンジという男の子が残り、彼が最後にマリカに統合される。


その多重人格症になった原因は父親からの性的虐待にあった。

という物語の紹介で、あ、べつにもみじちゃんには手加減なんて失礼だったかも、と大人たちは思った。


最後の人格が統合された時、それは親しいひとがいなくなる寂しさではなく、
去っても自分の中に残るということなんだ、と話していたのが印象的だった。

そして、『マリカの~』は小説なのだが、『バリ夢日記』は紀行文で、バリの写真がうつくしく、
この本そのものも素敵だった。

もみじちゃんのお母さんが紹介してくれたのは、忌野清志郎の『十年ゴム消し』。

忌野清志郎については、『ストップ!ひばりくん』(江口寿史)を読むまで知らなかったくらいの
私なので、忌野清志郎の歌もあまり知らない。

ただ、タイトルだけでなんとなく、自伝的な本なんだろうなあと思って手に取ったこともなかったので、
今回、実際にそこに書かれた詩や文章やイラストをよんで、

思っていたのと全然ちがうひとだったと知った。
私以外はたぶん、みんな忌野清志郎についてよくご存じだったので、
おとなしくしていた私である。


こんな文章を書き、こんなことを考えていた人だったんだ、と亡くなってから
知ることも、たぶん、献花の一本になる木がする。


ずっと図書館にあって、あの場所にあるとわかっていたのに手に取ることがなかった本だった。

いまでもあの場所にあるだろうか?


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すごい奇遇なんですが、部長がバリから帰ってきたところ…というと
バリに住んでいて帰国したようですが、蜜月旅行がバリだったのでした。

バリ、いいなあ。

私も大食い王で行ったことがあって、夜明けに樹にかけあがる小さな猿とか、
早朝のヴィラをあるくと、小さな石彫の神様に白いプルメリアが飾ってあって、

日中は甘いような据えたような、雑多な匂いと喧噪のまちなのに、
朝方は神秘的で静かでよかった。って3日くらいしかいなかったはずなんだけど、
特異なシチュエーションなので記憶にふかく刻まれているわけですよ。

バリ、いいなあ。またいつか行けたらいいなあ。

というあたりで話がはずみ、

そんな中、部長のブックレビューは、レベッカ・ブラウン『家庭の医学』


これも家族をテーマにした連作で、考えたら『阿修羅のごとく』も、『ベルサイユのばら』も、ファミリーの話ばっかり私たちはしていた気がする。


連作のタイトルのひとつに、「化学療法」などとあって、レベッカ・ブラウンが実際に母親の病気とつきあい、その病気と老いを引き受ける、そんな物語なのですが。


「女が女を看取るということは、女の生涯を引き受けるということなんだと思う」という部長の言葉が深かった。


きのうはじめて気づいたのですが、部長・副部長ともにまりちゃんだった。ダブルまりちゃんだ。



この女が女を看取るについては私はもう10年も前に終わっており、父は日々朦朧とご謹厳な「瘋癲老人」になりつつある。


ここでしばらく、親を看取ることについて、親と自分の関係の変化について、熱いディスカッションが交わされたのであった。


レベッカ・ブラウンの小説は1冊読んだきりだった。ブックレビューで紹介された本を読むこともあるし、レビューを聞いて読んだ気になって、しばらく忘れていて、だいぶたってから、ふと、手にすることもある。


『家庭の医学』はたぶん、じきに手に取ると思う。


(つづく)