{08D7895C-4565-41B5-8944-0CFA3090CB2A:01}

きのうは岩手県立美術館の2014年度館長講座6回目。今年度は企画展 舟越保武展にあわせて、ゆかりの彫刻家たちや舟越保武についての講座がひらかれ、

最後が柳原義達でした。

いま、岩手県立美術館の2F、舟越保武・松本竣介室の前に立っているこの《岩頭の女》(1977)。

以下は岩手日報2013.4.10の記事より。

「東日本大震災で被災したブロンズ像「岩頭の女(ひと)」(柳原義達さん作)の応急処置が終わり、盛岡市本宮の県立美術館で公開している。

 陸前高田市体育文化センターの開設記念として1978年にセンター前庭に設置。

津波で損壊し、足首の付近から折れて台座から外れ、がれきの中で見つかった。山形県で脱塩、さび止めの処置後、脚の壊れた部分に鉄棒を取り付け、以前と近い状態で展示している。

 高さ2・4メートルあった作品は手前に差し出された左腕の肘から先が欠損。左脚はねじ曲がり、全身に傷やへこみが残った状態。館長の原田光さんは「預かっている間は館内でいつも見られるようにしたい」と語る。

 被災美術品と応急処置の取り組みを紹介する特集展示「救出された絵画たち―陸前高田市立博物館コレクションから―」は14日まで。

【写真=応急処置が終わり、公開している「岩頭の女」】

(2013.4.10)」


リンクしようかと思ったのですが、一定の期間がすぎるとリンクが切れたりするのでコピペであります。


200mも流されたところを自衛隊によって瓦礫の中から救出されたというお話でした。


そしてご覧になった方は両足首の欠損や太ももの大きな裂孔、片腕の欠損など津波の凄まじさを感じられると思いますが、


しかし、


見つめているうちに、彼女に見つめ返され、次第にこの堂々たる彼女に痛々しさや同情など吹き飛ばす強さを感じられるのではないでしょうか。



{C765890D-6B7D-43D3-BF48-46F8919873BD:01}

彫刻なので360度でお楽しみいただけます。

私は《岩頭の女》の広背筋がすきです。

原田館長はこの《岩頭の女》のお話の前に、柳原義達のふたつの代表作であり、何点もつくられた《犬の唄》と《道標シリーズ》について語られたのですが、



{871BC169-8CCD-44AC-A2BD-E77BBA87631C:01}

欠損した左手の先は、突き出され、手首から折れて、おねだりをする犬のポーズなのです。

この《岩頭の女》と同じものが道東・釧路の幣舞橋の四季の像の《秋》なのですが、

幣舞橋の《秋》より、津波を生き延びたこの《岩頭の女》の方がもっといい。

原田館長の、

「もし柳原さんにこう言うことができたら、

柳原さん、これでも充分いけますよ、と言ってみたい」

には思わず笑ってしまった。

原田館長は、神奈川県立近代美術館にいらしゃって、柳原義達の彫刻ともそのデッサンとも、ずっと付き合ってきているので、

(もちろん、柳原義達ご本人ともだけれど)

その言葉が涼しくかるくても、深みがあってよかった。

{B19221EF-BFFC-4808-B811-EB9D284E2331:01}


あちこちで出会う、《道標シリーズ》の鴉さんと鳩さん。

これは秋田県立近代美術館のある、秋田ふるさと村の鴉さん。

もともと鳥というものが細い脚でボリュームのある体をささえているバランスの危ういフォルムなのですが、

(実際に空を飛ぶ鳥の体腔は空洞になっていて見た目より軽いとはいっても、ブロンズ彫刻でのバランスは際どいものがあります)

さらにその細い脚の先で小石をグッと摑んで、丸い台に乗っている…。

{66D84675-4FEF-4E5F-B8CB-AFF6881A6191:01}


きのうの講座で、柳原義達の《道標シリーズ》の鳥はいつも変な物の上に際どいバランスでとまっている、というお話があり、いま自分の持っている限りの画像で検証してみました。


{559EA2C6-C920-4B5A-95FB-AD84E281E5EF:01}

こちらは静岡県美術館の前庭にいる、《道標・鳩》。

鳩は鳩でもレース鳩でも土鳩でもなく、クジャクバトという種類で、柳原義達はデッサンをするために飼育していたそうです。

{28F00CD3-DF8E-4742-B416-1C09D4C71B2C:01}

{F1845486-8C4A-4133-BDE5-2FBA00212C91:01}

クジャクバトは鳩の貴婦人とも呼ばれ、16~20枚もある尾羽が開いたところが孔雀のよう。

なのですが、ブロンズの鳩と真っ白な鳩の貴婦人のイメージはだいぶ違う気がします。

{ED58BDDC-780C-4AB6-9149-13990075DE73:01}

岩手県立美術館の玄関近くにある、《道東の四季 春》、舟越保武。

{8A257628-1649-430C-B65C-988D04C37AB9:01}

宮城県美術館の佐藤忠良の《夏》。

幣舞橋の四季像は見たことはないのですが、本郷新の《冬》以外は見ているので、ぜひコンプリートしたいものです。

裸婦彫刻の手の扱い、というお話は舟越保武についての講座でもお聞きしたのですが、

手が歌っている佐藤忠良(《夏》に至ってはお下げ髪も踊っております)

体側に沿わせて下ろし、手の表情をフラットにした舟越保武、


そして、柳原義達は太ももや体幹に密着させ、塊としています。

(画像がなくて残念ですが、本郷新の《冬》はオーギュスト・ロダンっぽいポーズです)

四人の作家の人となりと作品を安易に重ねてはいけないですが、

重ねてみたくて仕方ない(笑)。

4人は戦後彫刻界の巨人たちですが、佐藤忠良と舟越保武は東京藝大美術部彫刻科で同級生であり、

同じ研究室で作品を彫っていた親友同士です。

柳原義達は二人より2歳上で、本郷新はもう少し上ですが、

親分肌で後輩たちともよく親しんでいたようです。




{5012B9EE-4DED-48A4-9BB5-962BD93470EA:01}


柳原義達の《岩頭の女》は傷ついてかえってよくなった、と思うけれど、彫刻だからこそで、

これが絵画だったらそうはいかない、というお話で真っ先に浮かんだのは、

黒田清輝の《智・感・情》。三幅対のセンター、バルタン星人ポーズの彼女の腕部分が破れ、画面に裂孔が空いてしまったら?

修復しなくては作品として成立しないでしょう。

しかし、彫刻は形を損なわれても、その作家が創り出したものは消えず、

のみかそれ以上のものに化けてしまう。

絵画と彫刻についてのさりげない指摘だったのですが、多くの示唆を受け取った気がします。