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『美術と戦争 1937-1945』 針生一郎 ・椹木野衣、蔵屋美香、河田明久、平瀬礼太、大谷省吾(酷暑刊行会)2007年

15000円する本なので、図書館にあってよかった。

比較のためにiPhone5sを置いてみました。図版はやっぱり大きいほうが見応えがあります。

あります、といってそれが戦争絵画といわれるものなので、声を小さくしなければいけないような気がしてしまったのですが、

戦争絵画の第一人者、というのもなんですが、藤田嗣治の戦争絵画についての針生一郎の
言葉が、いままででいちばん私がうすうす感じていたことにピタッとはまったので、
引用します。

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藤田嗣治 ≪アッツ島玉砕≫1943年 193.5×259.5cm

東京国立近代美術館(無期限貸与作品)


この作品は、

「両手に軍刀と小銃をもち、片足にまで小刀をはさんで獅子奮迅する山崎部隊長の
軍装姿を、鏡の前で自演してみずから恍惚となりながら描いたものらしい。」

「凄愴苛烈な殺しあいの光景をこれでもか、これでもかとばかり描きこみながら、作者の魂はまったくここに関与していない。彼は野次馬の嗜虐的な興味に駆られてこのむごたらしい場面を描きながら、その効果をニヒルに、偏執狂的にたのしんでいるだけだ。

しかも、それによってこの絵は、戦争末期のデスパレートな心情に通じるものがあったのだ。敗戦後に戦争画家はだれひとり、このような荒廃した内部をみつめて、そこから再出発しようとはしなかったし、批判者もまた戦争画家と抵抗画家の機械的な分類にすがって、この地獄の悦楽にまで下降しようとはしなかった」

(「戦後の戦争美術 論議と作品の運命」針生一郎)


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藤田嗣治と親しかった、中村研一の戦争画も収録されていました。ともに東京国立近代美術館にあります。

このひとも戦争画を描いていたんだ、と知る思いがけない発見があります。


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そしてこちら。

≪美術になにが起こったか 1992-2006≫ 椹木野衣 (国書刊行会)


「フジタよ甦れ! 村上隆との対談2」


あのおカッパにまん丸の眼鏡はいまだったら個性的なお洒落といえますが、
当時のパリの日本人ですから、そうとう目を引いたことでありましょう。

作家の「ブランド」化ということを指摘しています。そして日本に戻るとためらいもなく
五分刈りにするあたりに、画題に応じてキャラクターを設定しているというか、と。

フジタの話と一見無関係なようですが、村上隆が宮崎駿の生き方というものを作っていく上での
指針となっている、という話をして「ハウルの動く城」の脈絡のない爆撃シーンは、東京大空襲なんですよ、と語っています。

東京大空襲が3月10日でラジオでその当時子供だった女性が、いまでも鮮明な忘れられない記憶として投稿したはがきが読み上げられていました。その大空襲の中を中島飛行場の工場長だった父親のトラックで疎開し、まわりの群がってくる人々を押しのけて助かったことへの罪悪感がずっとある、
というのもはじめて知りました。

村上隆と宮崎駿というつながりも知らなかったし。

村上隆自体、よく知らなかったんです。「美少女の美術史展」で作品を見てはいるのですが、村上隆展をみたこともなかったし。ちょっとわからない作家だなあと思っていたのですが、

この対談を読んでいるうちに、わかるかもしれない、という気がしてきました(笑)。

誰かについて語ることは、究極、自分を裸にすることだと思います。

村上隆と椹木野衣がフジタについて語っているのは、自分のなかにいるフジタを照射することになっていると思われ、興味深い対談でした。