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きょうの17:00までの「人物」展、

どうしても澤田哲郎の絵が見たくて、きょう新幹線に乗る前に見てきました。

幸い展示のあるマリオスは駅から直通ですし。

乃木坂駅から新国立美術館みたいなものです。



去年の夏に

澤田哲郎の心情 盛岡市コレクション展2014

を見て以来、澤田哲郎のファンですから、

これは絶対見逃せん!とやってきたのですが、

期待以上でした。よかった!!

全53点のコレクション展ですが、その内訳は、


澤田哲郎(1919-1986) 21点(油彩14点、7点)

海野経 (1919-1988) 10点(油彩)
舞田文雄( 1904-1999) 7点(版画)

和田 三造 (1883-1967 )7点(版画)

金子千恵子(1912-2001) 2点 (油彩)

田辺至(1886-1968) 4点(油彩2点、デッサン2点)

翁 朝盛 1点(彫塑)

松村外次郎 1点(彫塑)



澤田哲郎は岩手県盛岡市神子田生まれ。


中学在学中から藤田嗣治(1886-1968)に師事しています。

それにしても、藤田嗣治って面倒見がいいひとだったんだなあとつくづく。

かれの後輩たちがみな藤田嗣治を慕って、しかも一度付き合うと長く深い交流を

つづけるんですよ。中村研二とか熊谷弦一郎とか…。親分肌なのか?


ただ、そんな藤田嗣治が誰にも明かさなかったのが、あの乳白色の下地づくり。

澤田哲郎は松本竣介(当時は俊介)、舟越保武と三人展をしており、特に松本竣介とは親しかったようで、

松本竣介が藤田嗣治の下地づくりに興味を持っていたことも、中野淳の青い絵の具箱『』で知りました。


そしてその中野淳の作品がきょう、宮城県美術館の≪わが愛憎の画家たち 針生一郎と戦後美術≫にあって、いろんなことが一度にわっと押し寄せてきて困った(笑)。だってそこから少し歩けば麻生三郎も松本竣介もいるし、新人画会も池袋モンパルナスもこれでもか、と怒涛のように。



シベリア抑留をモチーフにした作品の展示もあり、大作でやはり息ができないほどすばらしかった。


サムホールの諧謔やユーモアも、シベリア抑留の体験を描いた大作も、斬新な厚塗りのマティティールも、

ひとりの画家のなかにこれほど多様な表現があるのか、と思って目を瞠る。


シベリア抑留の体験を描いたと思われる、


「ロシアの囚人」は静かな色調の絵ながら、そこにある飢えと絶望がひそやかに伝わってくるようだった。


未完の油彩大作、


「サーカスの馬」や、


前回も見て見とれた「天地の出来ごと」。


大きな画面は夜の濃い青のなかで交わる男女と、その下の大地で赤ん坊を抱きしめる母親、という構成になっていて、寓話のようでもあり、実際に目撃したなにかなのかとも思わせる。


「犬と道化師」の白いけむるような画面のなかに、そこだけ唯一リアリティのあるピエロの長い茶色い指先以外は、

首と尾っぽに赤いリボンでおめかしした犬も、観客も、ピエロも、みんな白く煙っている。やわらかなオレンジやピンクやベージュが下地にあって、おもしろい表現技法になっている。



水彩画もよかった。水墨画のようなたっぷり黒を含んだ筆が闊達にうごき、そこへ輪郭を無視するかのように色の面がおかれ、滲みや細かな霧のような点々があって、どんな技法の組み合わせなんだろうと。


「凧上げ」の凧が不穏そのものの表情で笑った(笑)。


なにか目が離せないぞ澤田哲郎。


唯一の女性画家、金子千恵子の70代で描いた2枚の大きな抽象画が鮮やかだった。


兵庫県生まれで岡田三郎助に師事した金子は、画友・橋本花の夫、橋本八百二の盛岡橋本美術館に作品を寄贈したとキャプションにあったのですが、


その瑞々しさ、やわらかな発想に画風は全然違うんですが、晴山英を連想しました。晴山英も晩年まで、滾々と湧き続ける泉のように作品を発表し続けていたし。


「萌」の幾何学的な構成と、おもしろい画面の効果、しかし印象はシャープさや狷介さにつながらず、

体温を感じさせる。


「未完」(タイトルは未完だけど、未完成というわけではない)は、「萌」よりもっとおもしろい。


茶の濃い画面に、白い太い線で弧が三本、同心円場だけれど、中途半端な長さで描かれ、


渦のようなもののなかに、いくつかの、黄色やピンクなどの塊が巻き込まれているように見える。

私が連想したのはポーの「大渦巻」ですが、


春一番であってもいいし、心のなかにつねに吹き付けている風であるとしてもいい。


ほかにもおもしろい、と思ったり、見入ったり、ユーモアに笑ったりした作品があるのだけれど、

特に印象に残ったものをあげてみました。