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《娚の一生》(おとこのいっしょう)

人気マンガが原作の映画です。

豊川悦司がいつのまにこんなにいい感じに老けて、って1962年3月18日生まれなんですね。2学年上か(っていつまで学年…)。

役柄の海江田さんは52歳の設定ですから老けづくりをしなくてもドンピシャ?

とはいえ、豊川悦司はずっと30代のイメージだったので、あらそんなになったの?と驚きでした。

この映画を見ようと思ったのは安藤サクラが出ているからでしたが、

主人公つぐみ(榮倉奈々)の友達で、不倫の恋に破れて亡き祖母の家にひとりで棲むことにしたつぐみを案じて(とてもそんな風に見えないが)東京から訪ねてくる。

わりに出番としては短かった(笑)。でも全体に海江田とつぐみ以外はポッと出てくる感じだったので。

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つぐみは妻子ある男(向井理。あまり演技力があるとは言えない役者さんですが、いやな男の役はうまかった。新機軸か?)との恋に破れて傷心を癒しつつ、祖母の遺した田舎の大きな家で染色をやりながら暮らしていきたい、と若くして遁世生活に入っている。

そこへ祖母の昔の教え子で離れの合鍵も預かっている、という52歳の海江田が強引に入り込んできて、離れで仕事をしたり、つぐみにご飯をつくらせて一緒にたべたり。

最初の出会いの場面がよかった。ヌッと入ってきた海江田が、コーヒーのいい香りや、といきなり旧知の中みたいに話しかけ、つぐみにコーヒーをご馳走になって新聞をのうのうと読んでいるんですよ。

てっきり近所のひとか?と上げてしまうつぐみのおぼこい感じもチャーミングですが、


だんだん海江田がどんな人生を辿ってきた男かわかってくると、

この足キスシーンは別のものに見えてくる。けっこう長いんだここ(笑)。

つぐみの足首を摑んだ瞬間の方がよっぽどエロかった。足を執拗にキスというよりしゃぶっている海江田は、

実の母に捨てられ、彼を育ててくれた義理の母の再婚に傷つき(はっきりとは描かれなかったけど、多くの親のない子どもたちを預かって育てたり里親に預けたりしていた養母が初恋だったのだと思う)、

家を飛び出して、やがて大学で染色を教えていたつぐみの祖母に恋をして、多分それも片想いだったらしい。

女子大生たちからファンレターがくるような、ちょっとモテる海江田だが、ほんとうに愛したひとからはずっと愛を返してもらていなかったんだろうなあと。

足をしゃぶっているようだった。

赤ん坊が母親の乳房にしがみついて、無心に吸っているようだった。原作や監督や演じた豊川悦司の本意はわからないが、私にはそう見えて、泣きそうだった(笑)。エロくないっすここ。


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海江田とつぐみの前にあらわれたひとりの男の子。つぐみの遠い親戚の若い母親がいきなりつぐみの棲む家に子どもだけ寄越してバックれ(笑)。

この男の子がいっつもゲームに噛り付いていて、つぐみのつくった夕ご飯に手をつける前にテレビを点けて、海江田にここでは食事中はテレビをつけないんだ、と注意されるとゲームをはじめてしまうくらい、放りっぱなしの子だった。

お母さんはシングルマザーで夜の仕事をしながらまことを育てていて、食事はハンバーガーとかコンビニの弁当がほとんどだったらしい。だから最初はつぐみのつくるごはんのおいしさがわからなかった。

ひとりで横須賀のお母さんのところへ帰ろうとして、海江田とつぐみを心配させることもあった。この時海江田はいつものように雷を落とした後、何も言わないでまことを抱き上げて、そのまま抱きしめる。

海江田の境遇がわかるのは映画の終わりの方で、海江田が義理の母の家につぐみを連れて行ったとき。資産家のお嬢さんだった義理の母は多くの身寄りのない子どもたちを預かっていたけれど、義姉(濱田マリ)と海江田だけが里親になじまず、すぐにこの家に戻って義母と暮らしていたわけだ。

生みの親に捨てられて、ここでホッとしていたところで義母の再婚。再び裏切られたようなショックだったのだと思われる。

そのまま17歳で家を出てそれきり戻らなかった海江田。義姉が海江田に32年ぶりと言っていた気がするから、大学に入るあたりで一度必要な書類を整えるために会いに来たのだろうか。

きっとまことに幼い頃の自分を重ね合わせずにいられなかったのだろう。

まことも一緒に暮らすうちに自分から進んでお手伝いをするようになったり、海江田に教わって薪割りをしたり、
すっかり落ち着いたようにみえていたのですが、

いつも電車の通るのを気にしていたのが不憫だった。横須賀での日常、お母さんが夜帰ってくる電車を待っていて、今もお母さんが迎えにくるのを待っているんだなと。

で、ついにお母さんが迎えにくる。このお母さんがお洒落な服に身を包み、美人だけど挨拶ひとつしない、嫌な感じなんですよ。

まことを手放していいのか。お母さんに男ができていて、相手から虐待されたりしないか(そういう事件は山ほどあるし)。

海江田さん、まことをやっちゃダメー!!と叫びたいくらい不安なママだったんである。


海江田はまことに宛先を書いた裏の白いハガキを束で持たせて、字のかけないというまことに、

元気だったら、大きなマルを描いて出せ、困ったことがあったら小さなマルや、

とたぶんそんなことを言ったと思う。

あ、向田邦子の「父の詫び状」だな!と思った。末っ子の妹が学童疎開に出された時に、ふだん厳しいばかりのお父さんが末っ子を案じて、同じことを言ってハガキをたくさん持たせるんですよ。

疎開先から最初は大きなマルのハガキが届くんだけど、だんだんマルが小さく小さくなっていって、

とうとうお父さんが迎えに行くぞ、と疎開先に行くと、食べるものもなくやせ細った末っ子の姿があった、というようなエッセイだったと思う。

原作者の西炯子さんは鹿児島出身。そして向田邦子はお父さんの転勤に伴って、小学校から数年を鹿児島県鹿児島市で暮らしているんですよね。

この場面は向田邦子へのオマージュとも考えていいと思います。

そして、

「父の詫び状」では小さなマルのハガキが届くのでしたが、

ここでは大きなクレヨンの赤いマルのハガキに、あの挨拶もなしだったママからの、

お礼と実家に戻って昼のパートの仕事についた、とあって、まことはママと落ち着いたんだな、とホッとする。


つぐみを探してあらわれた不倫の相手(向井理)を海江田が張り飛ばし、眼底骨折(だったかな?)に至って呼んでも呼んでも目を覚まさない、という場面で、つぐみが倒れた不倫男を心配してそちらに飛びつくように走ったのがきっかけで、

姿を消した海江田。52歳で余裕たっぷりに見えていた海江田のほんとうは不安でたまらない気持ちが見えて、ここの海江田がよかったです。迷子の子犬のような目でうろうろして、うっかり落とした離れの合鍵を若い男に踏まれてデッキボードの間に落とし込まれてしまう。

一生懸命に手を伸ばして取ろうとするけど取れる場所じゃないしね。いい年をしてなにやってんだ、と可愛く見えた場面でした。


で、つぐみに見つかり、家に戻って足キスですよ。

いい場面だったのかもしれないが長すぎたなあ。でも映画に限らないけど、創作物ってスルスル入ってくるだけじゃダメなんですよね。何か引っかかるところがないと。

ここはすごく引っかかった(笑)。


海江田とつぐみは結婚し、古民家で緩やかで暖かな暮らしをつづっていくのだろう。

最初の方では先日みたばかりの《リトル・フォレスト》みたいだなーと思った。田舎に若い女性の一人暮らし、古民家、田舎道を自転車で走る…まあ北と南の違いはありましたが。

娚って、「めおと」とも読むんですね。どうやって出すのかと思っていたけど、めおとで変換されました(笑)。

夫婦となったふたりの重ね合わさった人生、というような意味合いでしょうか。