《六本木少女地獄》作・原くくる 演出・ベロシモンズ
2015年2月18日(水)~20(金)
盛岡劇場タウンホール
20:00開演 上演時間約75分
きのう、中日を見に行ってきました~。
タイトルからして、唐十郎とか夢野久作とか、と思っていたら、
最後の方では大島弓子や萩尾望都っぽかった(個人の素直な感想です)。
私は箸にも棒にもかからないマジメ人間なので、六本木と言ったら六本木アート・トライアングルですが、一面では、ヤンキーな人々が集まる不夜城のイメージ。森美術館も22:00までやってますし。そんで外国人多し!
舞台セットは、上手に見張り塔のようなDJ席があり(専門用語があるのかもしれないがわからない)、開場からずっと照明が熱くないか?と心配になるくらいの高いところでいろいろやっています。たまに芝居の中の人たちとからみますが、
基本的には舞台とは無関係に、並列的に存在するDJなのです。
中央には和紙でつくったような四角錐のカバーのついたライト(照明で真っ赤に染まったり白に戻ったりする)、その下に長方形の白い台。
下手に3段くらいの階段のついたグレーの小さなステージ(なのか?)。
検索したらこのようなサイトがあり全文を読むことができました。
また、原くくるさんのいままでの演劇との関わりと学生生活などのインタビューもありまして、
「唐十郎も寺山修司もゴダールも、いろいろなことをやってたじゃないですか。だから可能ですよ、きっと」
という言葉から、やっぱり唐十郎も読んでいるんだなあと思ったです。
夢野久作の名前はインタビューには出てこなかったのですが、
《少女地獄》夢野久作 (青空文庫)
の姫草ユリ子も原くくるさんの作り出したキャラクター、「六本木少女」の細胞のひとつではないかと思っています。
それから「胎児の見る夢」からなんとなく《ドグラ・マグラ》とか。高校の時に読んだきりなのでもう全然m覚えてないけどねー。
《六本木少女地獄》は原作の原くくる(腹を括る、からつけたペンネームだそうです)さんが脚本、主演、演出のすべてをつとめ、「18歳で都大会優勝、関東大会優秀賞受賞と、2010年度の高校演劇界を文字どおり震撼させた 」作品。
ということをお芝居を見てきてから調べたわけですが、
やっぱり消化できないものが残っている。
照明は攻撃的だったり、華やかだったりしたのですが、果たして内容にあっていたのかなあと。
六本木少女と少年(弟)と姉(六本木少女の母でもある)、湯田(六本木少女の女性差別者の兄でもある)の4人はパッチワーク的にに聖家族のイメージを借りているのですが、
そうすると白い四角錐の吊るされたものとその下の長方形の白い台は、セットで教会のイメージでしょうか。
照明の赤や紫や青や緑に、あ、教会のステンドグラスっぽい、と思ったりもしたのですが、
あまりチカチカされるとべつの意味になってしまう気がする。
その暴力的な照明とサウンドのせいか、笑っていいのここ?という空気になってしまい、たぶん、笑わせるはずのところでもしんとしていた気がします。サウンドは洗練されていてカッコいいんだけど、もし、藤純子の「夢は夜ひらく」だったらどうんだろう、とか、いろいろ考えた。
入れ子になっているのか、場面場面をパッチワークした構成なのか、六本木少女からひきこもったあげく想像妊娠してしまった少女。彼女がこの舞台全体を孕んでいるのは間違いない。
彼女がすがっているのは、認知症の祖父(でも元は心理学の教授)が書いた物語の手帳。その中に謎の姉と弟、謎すぎるボクケットミントン(というスポーツ格闘技)も描かれているらしい。
そしてそのボケた愛すべき祖父を介護するのは父親を理想化し、弟を叱咤し監視する恐ろしい姉でもある。
あの姉と弟を産んだのは六本木少女であり、
六本木少女は母から生まれ、両親を生み、
いままでの長い歴史の中で生まれてきた様々なひとを細胞のひとつひとつとして、生きていく、
生きていこうと決意する。
《六本木少女地獄》は登場人物全員が産声のような祈りをあげている物語のように思われる。
孤独な場所で自分の紡ぎ出した物語の登場人物の物語に絡め取られそうになったりするが、
それでも六本木少女はきょうも、彼女の妄想のなかの六本木に立ち、なにかを孵化させようとしつづける。彼女自身でもある、母(姉)、おじいちゃん(弟)を描きながら、生きながら。
って感じかな~と思いつつ、消化不良なところがあるので、最終日のきょうも見ようかな~と思っているのでした。
ってもうこんな時間か!