ブログネタで卒業ソング、というお題がありまして、
さて、と思ったところでなぜか、

「少年たちのように」と「春なのに」がすごく似ている、という
思ってしまって。


どちらも、

春に、恋人か友達かの選択を相手に問いかけている(ただし心で)。

というところが似ているのでした。


そしてまた、少女達が恋い焦がれるほど、男は(少年は)
彼女のことを想っていなかったという残酷ななりゆき。




女の胸は春咲く柳 逆らいながら春咲く柳
私は髪を短く切って 少年たちを妬んでいます
二つの答えを両手に分けて 季節があなたを困らせている
恋人ですか サヨナラですか 私について問いつめる

ともだちと答えてはもらえませんか
裸足でじゃれてた あの日のように
 春は咲き 春は行き 人は咲き 人は行く
 このままでいられたら 嗚呼でもそれは
 春は降り 春は降り せかされて せかされて
 むごい別れになる(「少年たちのように」)


卒業だけが 理由でしょうか
会えなくなるねと 右手を出して
さみしくなるよ それだけですか
むこうで友だち 呼んでますね

流れる季節たちを 微笑みで
送りたいけれど
春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます
春なのに 春なのに ため息 またひとつ
(「春なのに」)

しかしどうせふられるなら、
春がいいですよ。

夏に向かう季節で、涙だって蒸発するしね!
(大島弓子のエッセイマンガで失恋するなら初夏がいい、とあった。
涙が蒸発するから)



関連して思い出したのは、三田寛子の印象が
「のだめカンタービレ」の頃の上野樹里に似ていたなあということ。

おっとりしていてボケをかますところとか…
いや、三田寛子のほうがもっとおっとりというか、
のんびりしていたけど、それが感じがよかった。






並べてみると違うんだけど、
脳内で想像している分には似ていたんだよなあ(笑)。