先日《福田美蘭展》を見に行った、
で買い求めた「福田繁雄 DESIGN才遊記」(DNPアートコミュニケーションズ、2008年11月)。
福田繁雄さんは2009年1月11日に他界なさっていますから、最後のメッセージと考えてもいいと思われます。
二戸市シビックセンター福田繁雄館では福田繁雄の図録や書籍、Tシャツ手ぬぐい一筆箋、食器などのグッズ類を販売していますが、
福田繁雄さんと遺族の方からの寄贈によるもので、なくなり次第完売とひっそり注意書きがありまして、
たしかによる前に買ったトレーナーやだまし絵のカップはなかったもんなあ。
ハラハラしつつ、今回はこの本を買ったわけです。福田繁雄のアイディアの源泉を文字で知りたい気持ちにもあってね。
このポスター、「VICTORY」について、その発想のもととなったスケッチが載っています。
「逆さまの遊撃機 ー11番目こそ真のアイディアー」の中で、
1972年にポーランドでその3年後に開かれる「戦勝30周年記念国際ポスターコンクール」への出品要請を受けて、
ナチズムの崩壊をテーマにしようと考え、
試行錯誤し、作業机いっぱいに資料とスケッチが並べられる。
数週間が過ぎたある日、無造作に広げたスケッチを逆さまに見て、
「これだ!!」と声にならない声で叫んだ、という記述が興味深い。
そして最高賞をとったこの作品を収録したカタログが送られてきて、
ほとんどの作品が福田さんが考えたアイディアと同じだったと。
10のアイディアは誰でも考えつく。真のアイディアは11番目のアイディアと肝に銘じている、という言葉が深い。
この「VICTORY」は2012年秋に行われた「福田繁雄大回顧展」のポスターにもなりました。
このチケットの「喫煙」のシールが気になって剥がしたかった息子は当事4年生だった。
「福田繁雄大回顧展」に関連して美術館友の会企画の岩手県立美術館ー二戸市シビックセンターを学芸員とめぐるツアーに参加した時のことです。
2011年に岩手県立美術館をスタートとして開催される予定だった回顧展が、震災のために2012年9.11~、6つの美術館の最後の開催になったというのも、
今思えば非常にいろんな意味を含んでいた気がします。
岩手県立美術館のロゴのデザインは福田繁雄です。これもその時はじめて知ったんですが。
このバスツアーの後、福田繁雄の作品と出会うとあの時のことを思い出したりします。
いろんなところに置かれているパブリックアートも気をつけて発見するようになりました(笑)。
福田美蘭展はたまたまの偶然で東京都美術館にほかの企画展で行ってふらっと入ってみたのですが、
正直企画展よりよかった(笑)。
福田繁雄ー福田美蘭だけではなく、母方の祖父(美蘭から見て)、林義雄についても書かれています。
「ライバルの父、林義雄」
林 義雄(はやし よしお、1905年1月29日- 2010年12月9日)は童画家で、
私は東京都美術館の福田美蘭展ではじめてその名前を知ったのですが、絵はずいぶん前から知っていたもよう(笑)。童画ってそんなところがありますよね。
足立美術館に林義雄コレクションがあることは行くまで知らなかったので、
(とことん現地主義な私…予習の概念がないのか)
えー!こんなに林義雄の原画があるなんて!と喜んだです。陶器の作品もあったのですが、
「焼き物の人形を製作し『童塑』と名づけて、平面的な童画と一緒に発表し続けて、もう、7、8年にもなるだろうか。
それらの仕事は、平面的な創作活動をさらに深めているように思えるし、額縁童画では表現出来なかったもう一つの林義雄の童精の世界が、額縁から離れて自立したという感じなのである」
「林義雄は私の師であり、ライバルであり、そして、私の父である。」と書かれたのは1981年。
2009年1月11日に福田繁雄が鬼籍に入り、
2010年12月に林義雄が天寿を全うし、
2011年3月11日に東日本大震災が起こったこと。
福田繁雄の葬儀におくられたたくさんの白い花と震災後の6月にワシントン・ギャラリー美術館展で見たゴッホの絵がモチーフになっています。
いろいろ脱線しましたが、記憶が整理できました。
ではでは♪