昭和十三年の冬、父は文化学院で詩の講義をしたことがあったが、私は父を見ていても気が気でなかった。
すっかりあがってしまったらしい父は、いつもよりますます早口で聞き取りにくく、おまけに黒板と話をしているように横やうしろばかり見て、とうとう最後まで生徒の方は見なかった。
私はあれでは生徒から挨拶されても分からないで、困るだろうと思っていると、ある日父は笑いながら、
「樋口一葉のような、クラシックな少女がいるが、なんというひとだね?」と私に聞いた。
いつも和服に紫の袴をつけている坂井さんのこと(現、舟越保武夫人)だろうと思い私は教えたが
父はいったい、いつ見たのだろうと思うとふしぎだった。
(「父・萩原朔太郎」筑摩書房 昭和34年 P63)
あったー。
「父・萩原朔太郎」のどこかにたしかに、樋口一葉のようなクラシックな少女、と、舟越道子さんを評したところがあったはずだーと思っていましたが、
いまなにげなく読み返していたら、ばったりとでくわしました。
明治大学でも教えていたようですが、葉子の通っていた文化学院でも教えていた時期があったのですね。
葉子は1920年9月4日生まれ。
舟越保武が1912年生まれ、道子さんは?と思って調べたら、
2010年に93歳で亡くなったことがわかりまして、1917年生まれですね。
当時紫の袴で通う女学生はめずらしい存在だったのでしょうか。
それともその佇まいに一葉のような凜としたものを一瞥で見抜いたのでしょうか。
このエピソードは、朔太郎が見ていないようで案外ちゃんと見ているのがおかしいよ、という祖母の言葉で
まとめられているのですが、
私はここにいきなり舟越保武登場でびっくりしました(笑)。
もうひとつ、「父・萩原朔太郎」の中で、唐突にここで出たか、と思ったのは、
朔太郎が偶然、エレベーターの中で吉屋信子にあって、
「今まで写真などで見ていた吉屋信子の感じとはまるで違い、目の輝やきはとてもすばらしかった。これは一つの道に生きる人間の美しさだと言った。人のうわさやまして婦人の顔のことなどは決して話題になどしたことがないので、めずらしいことだった」。
吉屋信子の写真ですきなのは、田辺聖子の「夢はるか・吉屋信子」の口絵写真ですが、
あれはたしかにすばらしい目の輝きでした。
そしてそんなところに気づいて感激する朔太郎自身も、目が輝いたひとだったんだろうなあと
思ったりしました。イノセント。