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舟越保武 晩年の彫刻 岩手県立美術館 館長講座2014 第5回 2015.1.17


今年度は「舟越保武展」(岩手県立美術館 2014.10.25-12.7)にあわせて、
「彫刻があたどった近・現代史」のテーマでした。舟越保武については3回に
わたって講座が行われ、きょうはいよいよ晩年の彫刻についてです。


最初に、脳梗塞で倒れ、右手が不随になり、右目の視野も狭まって、
それまでの美しい、石彫を中心とした作品から、

ブロンズ像というより粘土そのものであるかのような晩年の作品について、

いい晩年を持ったな、

と語られたことがきょうの講座のテーマだったように思います。





舟越保武の彫刻、というとイメージとして、
うつくしい若い女性、瞑想的で、精神的な…という言葉が浮かんできます。

しかし、原田館長が岩手県立美術館ではじめて舟越保武の彫刻をいい、と思ったのは、
晩年に作られた彫刻でした。

美しいけれど、美しすぎて、芸術ってそんなもんじゃない、という気持ちを
抱いていた舟越保武の、キリストの彫刻に衝撃を受けたそうです。

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ゴルゴダ 1989年

舟越保武の晩年の作品とは、1987年に脳梗塞で倒れ入院した74歳からの
10年ほどのあいだに作られたブロンズの10作品。


これらは舟越さんが所属していた新制作派協会の展覧会に毎年1作ずつ作られて
いったものです。


※新制作派協会は舟越さんが東京美術学校彫刻家塑造部を卒業した1939年に
結成され、創立会員はほかに本郷新、山内壮ott、佐藤忠良、明田川孝、柳原義達、吉田芳夫。




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これは講座の中で、彫刻家のつくる手のポーズ、ということにふれて、
反射的に思い浮かんだ幣舞橋の四季の像。

舟越さんの春、佐藤忠良の夏、柳原義達の秋、本郷新の冬。


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こちらのゴルゴダは私が常設展示されていた当時に撮影したものです。
ある日、横からみたら、ぎょっとするほど前に倒れていることに気づいて。




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サルビア 1988年



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マグダラ 1990年


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ゴルゴダⅡ 1993年


「舟越保武展」の図録は写真がすごくいい、と思います。
なぜなら、私がiPhoneのカメラで常設展示中の作品を撮っておいたものより、
はるかにくっきりはっきりしているからです…ふつう、図録よりiPhoneで撮った画像の
方がきれいなんですが…。


粘土の塊に殴り掛かったような、頬の異様なこそげ方。

顔と首がこのあたりから境目をなくして、頭がひとつの塊であるかのような
感じがする。でもこのあたりからが特にいいと感じる。





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その人 1995年


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頭部Ⅲ 1998年

これは講座を聞く中であらためて、すごくいい、と思ったものです。
岩手県立美術館所蔵作品なので、気が遠くなるのですが、

秋に帰ってきたらまた見たい。
(もちろん、所蔵作品がすべてつねに展示されるわけではないのですが、
晩年の6作品をぜひ展示してほしい~と思ってしまう)

女性像はおおむね全身像であり、男性像はほとんどが首の像で、
例外として「原の城」「ダミアン神父」などがあるが、
と話されて、男性像は多少いじめて、はじめて素材の中から本質が出てくると
いう男性像、男性観だったのではないか、と。




「かきとり、けずり、むしりとり」された彫刻は、表面を一枚ずつ取り去り、
奥にあるものを引きずり出す努力。

「粘土に指を突っ込みながら、自分をさらけだした。」

「題をつけなくても、粘土に宗教的なものが内在している。」



館長のお話を聞きながら、重く、大きな塊の粘土と格闘する
舟越さんが浮かんできました。


粘土を削ぎおとし、毟り取り、なにかを取り出そうとし続けている姿が。

「粘土にっ指をつっこみながら、自分をさらけ出した」


作品を作る本質的な作業からは遠ざけられていた左手が、主役になり、自由に動きはじめた、
という言葉にハッとしました。

失われた利き手に代わって、赤ちゃんのように頼りない左手で制作していたのではなく、
原始人のように野蛮に、自由に、あらゆる制限から遠く離れて動き出したというイメージが浮かびました。

右手はそして本当に自由自在に動いていたんだろうか?

という疑問。熟練工のように巧みに動いていた半面、経験を積むにつれて、
制限が多くなってしまったのではないか。




「動き出した左手は舟越さんという人を奥の方から引きずり出してきた」


これがきょうの講座で印象深かった言葉です。


晩年の彫刻は、ブロンズというより、粘土そのものので、

舟越さんは粘土で作るだけでいいと考えていたんだ、と思う ―ことにしているんです、

と断じた館長がかっこよかった…。


舟越さんの晩年の彫刻のお話のつづきに、


東京国立博物館で4月まで開催中の「みちのくの仏像展」のお話がありました。



聖観音菩薩立像


重要文化財 聖観音菩薩立像
平安時代・11世紀
岩手・天台寺蔵






仏像は木彫りで髻のあたりが繊維よりももっとボロボロになり、

砂状になっていたり、指先が廃れていたりするのですが、


「木の脆くなり方がすばらしい」

「木ってここまで見事に滅びることができるのか」という言葉に

新しい世界観を見せられた気がしました。



薬師如来坐像



重要文化財 薬師如来坐像
平安時代・9世紀
宮城・双林寺蔵


(特に髻のあたりが砂状になっているそうです)


人の作った物は必ず滅びるという安心感を持った、と。


仏像の晩年ということを考える、仏像はそれを拝む村人とのつながりの

中で生きて、その中に滅びていく…。


レオナルド・ダビンチの修復された絵について、修復作業をすぐ近くでご覧になっていた

ことがあるそうですが、


数年前とはまるでちがってしまった、と。


作品が滅びないとい考えることは、作品を見ることの楽しみを半減する、

という言葉には半分わかる気がするけれど、まだほんとうにはわかっていないかもしれない。


メモを取りながら、連想でちがうことも考えていたりしたので、それこそ、

言葉の断片になってしまったのですが、


「カケラや廃れた木像に本質があることがある」


という言葉が味わい深かった。


最後に、みちのくの仏像展は4月までやっていますから、ぜひ、ご覧になってください、と

おっしゃっていたので、ふたつとも見られる、3月までに絶対行こうと思いました。



舟越保武の「晩年」と、仏像の「滅び」へのあかるい光のさすようなまなざしが

すごくよかった。粘土と格闘する舟越さんの晩年はむしろ青春だったように感じました。





特別展「3.11大津波と文化財の再生」 本館 特別2室・特別4室 :2015年1月14日(水) ~ 2015年3月15日(日)


特別展「みちのくの仏像」 本館 特別5室 :2015年1月14日(水) ~ 2015年4月5日(日)