《女生徒》新春特別鑑賞会@島根県立石見美術館は豪華で充実した、暖かい雰囲気のイベントでした。
☆豪華キャストのみなさま☆
塚原重義 監督
遊佐未森 朗読
大口俊輔 音楽
第一部上映会&トーク
美術館単独の施設だったら、これほどのホール(しかもこれが小ホール…)に恵まれたでしょうか。
複合施設ならではですね。
話が後先になるのですが、上映会のあとのトークや2部の音楽会で、けっこうこちらのホールで音楽会などが頻繁に行われている(美術館関連イベントに限らず)と知って、
音楽を聴くことも、美術を楽しむことも、もっとかるくなるんじゃないかな~と思いました。ホテルからグラン・トワまでてくてくあるいたのですが、その間にも「美少女の美術史」のチラシが何があった!と思うくらい目立って多く貼られていたこととも無関係ではないと思われます。
《女生徒》の上映の前に、塚原監督の2年ほど前の作品、《端ノ向フ》が上映されました。
《女生徒》とおなじく、滲んだ色彩の中に、昭和初期あたりの東京の下町や無声映画の弁士、兵隊たち、攫われる子どもなどいくつもの悪夢の断片が境界を無くして重なり合い、
郷愁と微熱の中で孵化した悪夢のような世界でした。私は探偵小説作家の日影丈吉を連想したり、池袋モンパルナスに集った画家たちのシュールレアリスムの絵画を重ねたりしました。独特でうつくしく、毒のある世界です。
ネットでインタビュー記事をみつけたので貼っておきますね。
そして《女生徒》。
上映前にも、《女生徒》と《端ノ向フ》の間にも余計な解説など一切入らなかったところがスッキリしていてよかった。
《女生徒》は太宰治の短篇ですが、ある東京のどこかに住んでいるらしい女生徒の一日を描いています。
高校時代太宰治がすきで、特にストーリーらしきものはなく、その言葉がおもしろくてすきだった。しかしどんな物語だったと言われると説明できない。
星新一が自分の文章修業というエッセイの中で、太宰治に傾倒したことや、太宰の独特の文章について書いていましたが、共感でした。
いきなりの省略や捨て台詞、なぜこうなる!というのが全然予測もつかない、だがそこがいい、と思っていたので。
そして上映後のトークで、進行は美術館主任学芸員でトリメガ研究所の川西由里さんだったのですが、
そのお話の中で、原作ものは初めてではなく、星新一の作品を元にした作品もつくったことがある、という言葉が塚原監督から飛び出して、
おお、と喜びました。私の中では太宰治ー星新一はラインになっているので…。
ひとりの女生徒のモノローグだけ進行する小説なので、どういう少女で、東京のどこに住んでいるか、どういう制服を着ているか、
など念入りに考証したそうです。
小説のなかに「お茶の水」という地名が出てくることから、彼女の通学路にランドマークとして当時(戦前、昭和14年頃)の東京にあったものを出そうと思った、
ということでさすがの私もニコライ堂はわかった(笑)。
大塚にある伝統的な、独特の制服の女子校というのは中島梓のエッセイで知っていました。あらためてネットで画像を取り出しましたら、ユニークですな。
これは帯からのアレンジなんでしょうか。世代的に変身!とか叫びたくなるんですが。
塚原監督は若い方ですが、時代考証をきっちりやってみたいという意思と、お友達に制服マニア(マニアと言ったのか専門家と言ったのか忘れましたが)の方がいて、ベルトの幅や装着の仕方まで丹念に作り上げたそうです。
映画の話を聞いているはずですが、なにか絵画の技法について聞いている時とおなじところが喜んでいる気がしました。知的好奇心の腺が刺激されている感じ…。
時代考証のお話もおもしろかったし、主人公以外は人ではない、そして主人公と距離がある人ほど人から離れていく、というのもおもしろかった。
萩尾望都のマンガで、主人公と彼が気になっている少女以外はみんな家電になったり文房になったりするものがありましたが、
塚原監督の《女生徒》では、ヒロインと放課後、美容院に寄り道をするお寺のキン子さんが木魚の顔になっています(笑)。
ヒロインの方はそんなに好きでもないし、興味もない隣の席というだけの間柄ですが、彼女はまだ首から下は人間ですからね。
これが、ヒロインをモデルに絵を描く伊藤先生となると映写機(笑)。そしてその映写機のそばには「イモウト」のタイトルのロールフィルムが重なっています。
実際にヒロインを写したというのではなく、先生の脳内にある妹の思い出(それがヒロインへのねちっこい視線に変容するわけですが)の象徴。
独特の色彩表現について川西由里さんから質問があり、
今回はオールデジタルで制作し、まずふつうの色彩で描いたあとに、水気を多くしてアクリル絵具で滲んだ画面をつくって、それをスキャンしてフィルターとしてかけた…そんなようなことでした。おもしろい!
マンガ家さんのデジタル化については「重版出来!」で知っていましたが、デジタル化することで広がる表現手法も興味深いなあ。アナログ感のある滲んだ絵柄が、デジタル処理で作り上げられているなんて。
ただ、塚原監督の大正、昭和初期への憧憬の深さがこの《女生徒》を作り上げたのだと思い、
その思いの深さに思わず帰りに太宰治の「女生徒」(角川文庫)、買ってしまいましたよ。カバーが梅佳代さんだった。ナイス!
監督と川西さんの1対1のトークから、
朗読の遊佐未森さん、音楽を担当した大口俊輔さんの登場。
1対1はどこか緊張感がありましたが、登場人物が4人にふえるとセッションになりますが、
ゲストのみなさんのコスチュームというかファッションが《女生徒》の世界を感じさせて楽しめました。
塚原監督ー
大正時代の商家の丁稚さん風、または書生さん風。マッサンが被っていたようなツバ付きの帽子(鳥打帽とかハンチングとかキャスケットとか)に白い長袖のシャツを覗かせて羽織袴。袴の足元は緑色の唐草模様の地下足袋。
遊佐未森さん
オフホワイトのサックドレス、五分袖もややラッパ型。そこに黒と銀ラメの葉っぱの大きなモチーフがアプリケで散らしてある。
髪型も大正のモダンガールの断髪風にワンレングスの前下がりボブで、アシンメトリーで片側だけが長めでくるんとカールしてある。鳥の羽でできた華やかなヘッドトップ。
あとでコレクション展示の「パリジェンヌの一日」を見たんだけど、
ああ、きっとヒロインが空想したパリジェンヌをイメージしたコーディネートなんだなあと。
ピンヒールで細身の黒のサンダルは足の裏が白のコンビネーションだったよ。
大口俊輔さん
グリーンの大きなチェックの帽子に、白いシャツに天鵞絨の黒い蝶ネクタイ、グレーのカーディガン。ボトムは黒のレース地のパンツに靴は覚えていないけれどたぶん黒で靴とパンツの間に紅色の差し色があった。あれってソックスなのか、ハーレムパンツの袖口(も変だが)なのかな。
なんとなく、中世の旅をしながら街角で気ままに音楽をやるひとみたい。または江戸時代の長崎にきたポルトガル商人。帽子の名前はわからないんだけど、ぼっかり大きくてターバンをイメージしたのかなあと思ったわ。
私は全然お洒落に興味がないので、衣装スケッチが茫洋としていてすみません。
進行役の川西さんはトリメガ研究所員なのでもちろんメガネに、《女生徒》ふうのカールした黒髪のワンレングス、
グレーのシンプルなワンピースは、四角くあけた襟は黒のサテンで縁どられて、リボンでまとめられていました。
しかしなぜ私はお洒落に興味がないといいながら、落語に行っても講演会に行っても衣装スケッチをしたくなるんでしょうか。
いや、たぶん森茉莉の影響です…。
第二部 《女生徒》によせる音楽会についてはまた~。
(きのうの夕方から何度も下書き保存を繰り返し、無事書き終わった…まだまだ書き足りないけど)