今朝紙ものの整理をしていて、切手シートブックから出てきたのがこちら。
ひゃー、もう20年近くまえですよ。結婚する前だから、1998年かな。
上野の泰楽堂に何の用事があったんだろう?
そして残りの券はまだ有効なのか?
一葉記念館も朝倉彫塑館もまだ行ってないわ~。
「一葉女史の墓」明治35年
清方は、泉鏡花の随筆「一葉の墓」(明治 33 年 (1900 年 ) ・文芸雑誌『新小説』掲載)に促されて、当時築地本願寺にあった樋口家の墓に詣でたことから着想を得ました。
持参した素描帳の余白には「墓標の高さ、わが丈にして乳のあたりまで」と記しています。樋口一葉の著書『たけくらべ』の主人公美登利(みどり)が、樋口家の墓にもたれる姿は、この時のスケッチによります。
美登利が手にしている水仙の作り花は、小説の最終章で、恋しく思っていた信如(しんにょ)が修行に発つ日の朝、格子に挿されていたものです。
(鎌倉市鏑木清方記念美術館HPより)
「春装」大正6年(「國民新聞」附録)
この絵が展示室の一番最初にあったんです。
キューピーに手作りのスタイをかけてあげている女性の髪の毛のやわらかさや、襟元に覗かせた半襟はビロードに刺繍が施されているのか、様々な布の質感やその意匠を丁寧に描いているのがたまらん。
キューピーがくすぐったそうな顔をしているのもなんともいえない。スタイの刺繍はアウトラインステッチだけのシンプルなものに見えるけれど、きっとこの女性が手ずから刺したんじゃないかなあ。
すごくすき!
美術館めぐりのすきな友達に出すよ。
羽子板は押し絵になっていて、ポストカードのサイズだとその恐るべき技が伝わりにくいんですが、
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羽子板は古くから正月の風物として親しまれてきました。 江戸時代からは色とりどりの豪華な装飾の押絵羽子板が見られはじめ、現代に伝わっています。 鏑木清方は、押絵羽子板の研究団体の顧問を務めていたことがあり、会には名押絵師の吉田永光や永井周山が属していました。吉田永光は、大正11年(1922)に第四回帝展に出品された清方作《春の夜のうらみ》を押絵羽子板に意匠化し、永井周山は昭和10年(1935)に個展へ出品された《明治風俗十二ヶ月》をもとに制作しています。このように清方の情趣に満ちた作品は押絵師たちの制作欲をかきたてるものとなりました。 本展覧会では、押絵羽子板を中心に、清方が描いた初春の風情豊かな作品を紹介いたします。(鏑木清方記念美術館HPより) |
鏑木清方の絵のパネルとともに押し絵羽子板が展示されているのですが、
見事な羽子板で、とても羽根つきなどできませんよ。
できるだけ接写してポストカードを撮ってみましたが、俥夫の黒い羅紗(かな?)の上着に降りかかった雪のはかなさや、
女性の顔にまでまかれたマフラーや、着物の重なりまで手を抜かずに仕上げられた羽子板。
というわけでやっと鏑木清方記念美術館の記事を書いたわ。
よし、次だ!