つくづく山岸凉子のカバー絵はいいなあ。
カバー絵以外もいいんだけど、コスチュームやヘアメイクがマンガ上とはいえ、
すごく凝っていてすてき。この衣装とヘアメイクで創作バレエや演劇が
できるんじゃないかしら。
盟神探湯の結果、火傷を負わなかった壱与はシビとともに自由の身に。
とはいえ、利用価値のある娘として壱与を狙うものもいるわけです。
日女子が殺され、壱与は無事でした。狗智日子を恨んですごい形相で死んでいった
日女子。
彼女が真に能力があったら、狗智日子の刃を交わしていたのはむしろ彼女だったはず。
彼女は厩戸さんではなかったのだなあ。
まだ幼い少女だった頃、顔見知りの少年たちに押さえつけられ、
凌辱されたのでした。
その後、魂が抜けたようになっていたところを家に連れてかえって、
食べ物を与えてくれたのがシビでした。
シビはクロオトコという、埋葬にまつわる仕事をしていたのですが、
壱与と出会ってから運命が急変し、その後ずっと行動を共にしていました。
壱与は自分が日女のような本物の聞こえ様ではないと思っています。
いや、ほんとうはその力がどこかにあるのかもしれないけれど、
命を削るようなことなのだと、まだ幼い少女なのに、
この力を使い続けた果てにあるものを知っているかのようです。
幼いころから呆けたような日女を連れて苦労してきたこと、
10歳でレイプされ、その後も何度も命を危うくしてきたこと、
彼女は試練にさらされて強く賢くなって、あっさりと能力を手放す
決意をみせたのでした。
3年の苛酷な旅を終えて戻ってきた島は、
壱与にここにしかない安らぎを与えてくれるのでしょうか。
「青青の時代」の中の、
もとは有名なバレリーナだった須藤美智子(主人公のひとり、空美の伯母)は、
日女でもあり(彼女は自分では知らないが、その生活のために姪である空美が
ロリコン・ヌード写真の撮影をさせられている)、
日女子でもある。そのカリスマ性というのか我儘というのかが(笑)。
1巻の初登場の場面では、若き日にはさぞや、と思わせる美少女のような
顔立ちがドアの向こうにぼーっと見えて、現在のおそらく60歳くらいであろうと
思われる美智子先生の顔になるわけですが、
その辺も日女子っぽいなあと。
空美はレイプこそされないが、お金のためにヌード撮影をさせられていたり、
貧しさと一風変わった性格のために激しいイジメに遭ったり、父親はアルコール中毒で
暴力をふるうし、母親も自分より伯母の美智子先生が大事だとわかっている。
救いはまったく訪れる気配さえない(ヒドイ)。
その苛酷さと孤独さは壱与と同じだが、
壱与は六花の賢さやたくましさ、親切さも持っている。
大きな才能と引き換えにふつうの幸せを得るには欠落した部分のある人間、
という話を山岸凉子は繰り返し描いてきた気がするのですが、
「青青の時代」では、主人公がその不幸に飲みこまれずに凜としていてさわやかな終わり方だった。
併録されている「牧神の午後」ぶ~け1989 11月号・12月号は、
ニジンスキーを描いていますが、
彼はまさしく、大きく欠落した部分と引き換えに比類なき才能を与えられたものだった。
そして、天才を与えられた見返りにふつうの幸せや安らぎを奪われた生涯だった。
「青青の時代」の10年ほど前に描かれた作品で、この不幸のスパイラルは
山岸凉子のひとつのパターンだなーと思います。
むしろ、「青青の時代」の爽やかな読後感のほうがめずらしい…と当時は
思ったのですが、
「テレプシコーラ」も主人公の姉の自殺という大きな代償はありますが、
「青青の時代」とおなじく、10歳からはじまった物語は、13歳(たしか)で
彼女がおそらくこれからコリオグラファーを目指していくのではないか、と思わせ
幕を下ろします(1部の終わりでは)。
シビのワイルドな顔立ちや筋肉のめだつ体つきは、なんとなく、
拓人君に似ていますが、拓人君が六花と恋人になるということではなく、
山岸凉子の作品の中にずいぶん、いろんなタイプの男の子や青年が
ふえてきたんだなあと思ったのでした。
そういえば、「青青の時代」はほんとうに美青年が微塵も姿を見せないなあ…。